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常識とか非常識とか

Common Sense is NOT so Common.

ほとんどの人生を東京、横浜で育った私。友達はほとんど日本人だったし、日本で出会った外国人の知り合いは、それなりに日本の文化に慣れようとしている人たちだったから、成長過程で育まれた私の「常識」はほとんど反駁されることなく、ぬくぬくと私の中で守られきた。
 ところが、5年前にアメリカに引越してきて、更に起業するとなると、本当にいろんな人に出会う。本当に、びっくりするほど。長年大事に温められてきた私の心に根差す「常識」でさえ、刃を向けられて縮こまる事も稀にある。今日はそんな縮こまってしまった話をしたいと思う。

 昨年、コロナが大流行した時、刺繍の仕事が減った私たちは中国からマスク、ガウン、アルコールワイプ等、衛生用品を輸入し、保管し、中間業者として販売をしていた。一日100箱にもなる段ボール箱の受け入れは容易なことではなかったし、衛生用品ということもあって、取り扱いについてもそれなりに注意していた。もちろん、宅配業者の方も荷物を下ろすのは大変だっただろうと思う。
 しかしながら、宅配会社のスタッフの荷物の取り扱いにはかなりの衝撃を受けた。我々彼らにとっての「顧客」の前で、「顧客」が依頼した荷物を届けるときに、スマートフォンで友人と思われる相手と「話しながら」荷物を「投げる」「蹴る」トラックから「蹴って落とす」。あまりのショックで業者に物申そうとしたら、夫に止められた。私を止めた夫にもショックだった。

 夫が言うには、モノを足でけったり、動かしたりすることはマナー違反ではない。とのこと。脚を使って荷物を動かすのはルール違反ではない。

日本で育った私はお客様の荷物を脚で蹴ったり、投げたりして配達する宅急便の方には会ったことがないし、誰かに何かを届けるときには必ず両手で、と教育されてきた。ましてや当人の前では絶対にそんなことしない。多分、よっぽど相手に嫌われようと思わない限り、とりあえず相手の荷物は「丁寧に」扱うのが礼儀だと思っているのは私特有の考え方ではないだろう。

こちらに住んで5年経った。泣いたり、怒ったり、カルチャーショックもそれなりに経験した。自分の常識を押し付けたくはないし、多様な人種が住むこの国では、私の常識は常識ではないということも分かっていたつもりではいたけれど、今回のことはショックだった。脚で蹴られて荷物を届けられることは腹正しかったし、今後も慣れることはない。結局、宅配業者が脚で荷物を扱って、箱に穴が開いたら絶対に文句を言ってやろうと見張ることしかできなかった。もちろん、当たり前のように足で蹴れば穴は開く。「穴をあけないように、丁寧に運んでほしい。」と言ったら、スマホで話す彼の声が少し大きくなり、こちらをちらっと見てから、聞こえないふりをされただけ。こういう人に腹を立てて「これだから、ココの人は」と文句を言うのは老害なのか、人種の違いなのか、なんなのか。

「郷に入っては郷に従え」とはいうものの、これだけは絶対にしたくないと思った。そして、それをやめてほしいといえなかった自分自身にも腹正しかったけど。

心の中にもやもやしたものが残った。

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