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燃え尽き症候群と燃え尽きることがない仕事たち(独り言です)

(写真は刺繍ミシン。帽子に刺繍している様子。弊社にはこんな子が5台ある。)

私はアメリカはコロラド州で小さな刺繡業を営んでいる。
今年で創業8年で来年から9年目だ。
起業した当初は1.刺繍が好きだった 2.アメリカ人の夫がアメリカに帰りたがった。
このたった二つの理由から、深く色々なことを考えずに当初4歳だった娘と夫と3人で渡米し、とりあえず始めた。

始めてしまった…というほうが適切か。

8年を振り返ると、我ながらよく頑張ったと思う。

つたない英語で客に嫌味を言われることもしばしば。
刺繍といっても機械刺繍なので什器のメンテナンスが必要。古い什器で取説もなし。修理屋を頼みたくても最寄りはロサンゼルス。宿代+飛行機代を払うと膨大な為、とても頼めない。
従業員はメキシコ人が多く、文化が真逆と言っていいほど違う。しかも英語が流暢ではない。
英語が流暢ではない私と彼ら、真面目に働く日本人vs出来たら仕事をしたくない彼らでいつもバトルが繰り広げられる。
…とは言っても、そもそもバトルを避けたい日本人の私。バトルができるまでに3-4年かかってるし。

当時、刺繍のデータはフロッピーディスクで保管
刺繍の色データはすべて紙に手書きで書いてあり、キャビネットに保管
請求書だすのもPCでマニュアル入力。刺繍の金額は大きさと針数と刺繍した枚数で決まるのだが、電卓カチャカチャたたいて計算。
人事に関する給料計算や有休休暇、タイムカード、税金、年金
経理に関する経費や収入の計算
スタッフの管理 等々
やることは一つ息をすれば一つ増えるような感覚で増えていき、終わりがなく
娘を幼稚園へ迎えに行く時間になると、慌てて迎えに行き、やっつけ作業で夕飯を作り、また仕事。疲れた体を休ませるのが11時すぎ。
朝は3時に起床。

一つ一つは単純作業でも、やることが膨大で一日はあっという間に過ぎて行った。

あれから8年。12月になるといつも当初の事を思い出す。

今ではお客さんのデータや刺繍のデータ、注文状況はすべてデータベースで管理し
商品発送もバーコード化し、配送業者とのデータやり取りはAPIを使ってボタン一つで送付伝票を作り、
刺繍ファイルはフロッピーディスクからのロードからバーコードでのロードに代えて人的ミスを削減
データベースで管理するようになってお客さんへの注文の詳細確認もできるようになりコミュニケーションミスも減り
機械の修理は大抵のものはパーツリストの図をみればできるようになった。
節約する体質からお金を作る体質へと会社を変化させてきた。

そしてめでたく今年、
株式会社化し、社員に年金も、健康保険も、有給休暇も払えて
自社工場をもち、e-commerceを持つ会社へとシフトするのに丸八年かかった。その間、ステージ4の癌に罹患し、コロナもあった。

毎日が闘いで、必死で、全力で、充実していた。

今だってやることは沢山ある。やらなきゃいけないことも減らない。
でも、今月のはじめあたりから、どうやって頑張ってきたか、分からなくなった。

降ってくる仕事でおぼれてしまって息ができない
経営者である限り、おぼれた私を救ってくれる人はいないのに
更に仕事を飲み込もうとしておぼれてしまう。今までだって同じ量の塩水を飲み込んできたはずなのに
飲み込めない自分に腹を立てる。

どうやって頑張ってきたのだっけ。どうやって毎日を楽しんでいたのだっけ。

未来という前を見ると苦しくなる。
過去という後ろを見ると頑張れた自分が恨めしくなる。
横を見ると、趣味に費やす時間を作れるパートナーを恨めしく思い
ティーンエージャーの娘は生意気な事を言う。
どうにもこうにも、心の置き場が見つからない。

眠れない夜を過ごしても
昼寝をできない真面目さが休む事を許さず
疲れた脳は感情を増幅させ、「築いてきた全てを破壊したい自分」が顔をだす。

夫はない物ねだりだという。
アメリカにいても日本にいても、私は幸せになれないという。
結婚して夫といても不満を言い、結婚前は親兄弟といつも揉めてたという。
できないことを数えるより、できることを数えろという。

でもそれもちょっと違う。できることを二人で数えていたのなら、ここまで会社は成長できなかった。
親兄弟と遠慮しない関係を築いてきたから、今でもなんでも言える家族でいられる。

完全に道に迷ってしまった私。
今年も残すところ2日。敗者復活リセットして新たな気持ちで新しい年を迎えることができるのか。

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