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【初のコレ受け】アンメットでも残る能登の記憶

大抵のことは忘れてしまうけれど、大切なことは心のどこかに残っている。私の最大の関心事は能登半島地震の風化だ。2024年1月1日直後には、24時間テレビ取り上げられ、WEBや新聞でも地震の被害で埋まっていた。

しかし、4カ月も経つと目に触れる報道量は激減する。世間の人々は、震災は落ち着いたんでしょう、と過去の事にしてしまうようだ。現地では、まだ瓦礫の山で、被災者は明日の生活にも事欠いている。まだ水道が使えない家庭も多い。ひろゆきさんや政治家など有名人が時折取り上げてくれるとホッとする。


NHKの報道

NHKは朝夕の全国ニュースで、1日1回は取り上げてくれる。どんれだけ短くても「能登」というの言葉を聞ける。これは被災地の住民で無ければ気付かないかもしれない。

報道が少なくなると、能登は忘れられたのではないかと心配になる。私だけでも情報発信をしないといけないと、毎日SNSで現状を書き続けている。同じ思いの人を何人も見かける。必死だ。

しかし、どんなに露出を増やそうとしても限界があり、たまたま目に触れたとしても受け手の脳裏からはすぐに消えてしまう。

もしかして、それでいいのかも。能登のニュースに触れる機会が限られるようになっても、ふと思い出してもらえることがあるかもしれないと思った。意識の底にかすかに残ってくれれば御の字だ。

すべて忘れてしまうのに【さとゆみの今日もコレカラ/第207回】

たいていのことは忘れてしまう。
酒飲みのぽんこつ中年同士の会話なんて、ほんとうにすぐ忘れてしまう。あんなに面白いと思ったのに。あんなに笑ったのに。あんなに感心したのに。
だけど多分、私の脳はそれを覚えていなくても、私の身体のどこかがそれを受け取っているんだろうな。

すべて忘れてしまうのに【さとゆみの今日もコレカラ/第207回】

「今日のコレカラ」では、記憶は忘れられても身体のどこかに染みこんでいることもある、と書かれていた。

能登以外に住む人でも、心のどこかに残ってくれればそれでいいのだ。直接の当事者でもないのに、始終気にしてくれるというのはどだい無理なのだ。

「アンメット〜ある脳外科医の日記」

記憶で思い出すのは、記憶障害を描くドラマ「アンメット〜ある脳外科医の日記」。昨日のことすら思い出せない医師が、毎朝2年分の日記を読んで現状を理解する内容だ。

脳外科医として苦悩する主人のミヤビに、元恋人で同僚の三瓶はいう。

記憶障害でも大切な感情は心の底に残っていて決して忘れない、と

普段は思い出せなくてもいい。能登のことが大切な感情として人の心に残ってほしい。残ってさえいればいつか思い出してもらえる可能性がある。

風化を恐れるばかりではいけない

被災者が風化を恐れるのは当然で、切実だ。能登は落ち着いていると誤解されていないか、過疎地だから復旧の手が十分差し伸べられていないのでは無いか。(復旧と復興の使い分けもよく見られるが、これは別の話)

風化を恐れるばかりに、被災者は泣き叫ぶ。現地では、被災者を声をあげられない赤子ようなものなのでなんらかの意思表示をしなければ生きていけない、とも例えられる。

しかし、風化を防ぐのは不可能だ。能登の人も、東北大震災や熊本地震を過去の事と思っていないか。あんなに心の奥底で泣いた事件を忘れていないか。

人の記憶はあいまいで、アンメット(満たされない)気持ちは解決することはない。それでも、思い出してもらえる日のために自暴自棄にならずに生きていくことが大切だと、私は記憶しておきたい。

(注)「コレ受け」とは、WEBメディア「CORECOLOR」のさとゆみ編集長が毎日書いても24時間で消えるエッセイ「今日もコレカラ」を受けて、自由に書くエッセイです。

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