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物盗られ妄想で分かれる接し方

認知症の症状の一つに物盗られ妄想がある。
例えば介護者で、身内のレビー小体型認知症での幻視幻聴で悩む人は多い。
これは被害妄想が特徴なので、自分の大事なものを盗まれた、と思い込む場合もある。
厄介なことに、その対象は一番身近で世話をしてくれる人に向けられることが多い。わかりやすい例では、義理の親を介護する妻があたるのだ。

これに対するには、いくつかの壁がある。

(1)自分の親でないので辛く当たれない。どうやり過ごしていいかわからない。
(2)当事者の息子は日中家にいないので被害の状況がよくわからず、当たらずさわらずの対応で様子を見るしかない。
(3)盗ったと言われることが苦痛で我慢できない。

自分の親の介護でさえ、身も心も削られ大変な思いをするのに、義理の親であればなお一層であろう。
このような例はよく見かけるのだが、対応は分かれる。

妄想は仕方なく諦めるとして、盗んだことにしてやり過ごすタイプと、断固としてそれが出来ないタイプである。

大抵は盗んだと言われるのが我慢できず、そこだけは許せず譲らない。よって言い合いによって疲労困憊してしまうことが多いと思う。
義理の親族はもちろん、公的サービスの介護従事者とて例外ではない。
早くことを進めるために厄介なことは切り捨てて、別のサービスに従事したい。時間のない現代人なら当たり前である。

だが、盗んだことを否定せず(もちろん事実ではないのだが)、そのことで思い悩まない人もいる。
これができればなかなかの達人であると言えるだろう。

傾聴についても同じだ。
「否定も肯定もせず、よくお話を聞きましよう。」
よく見かけるフレーズだが、心がないことは介護されている本人にもわかる。周りにいる人にはもっとわかる。

講習で習った通りに聞いたふりをしないと身が持たない、と思う専門家がいるのは分かるのだが、ただ聞いているだけでその人の目線まで降りてこられない人がいるのも事実だ。プロとはいえ仕方がない。

介護にあたってくださる方を非難しているのではない。
疲労困憊の家族に代わって献身的に介護してくださり、場合によっては奇跡としか考えられない回復をする場合も体験しており、本当に感謝することも多い。

物盗られを含む認知症や孤独問題に直面した場合、まず公的機関に相談を促される。ただ、そこで解決するかどうかは運次第である。相性が悪い、サービスの質が悪いなど様々な要因により、一筋縄ではいかないのが現実である。介護する側も家庭や職場でうまくいっていないかもしれないのを見せずに接してくれているかもしれない。

プロであれ、そうでないであれ、心まで盗まれてはやっていけない。
自分を失わないために、被害妄想を否定せずうまくやり過ごしてくれる方には感謝である。自分を主張するだけではうまくいかないことは多々ある。

いたずらに突っ張らずに、少し引いたところから物事を見ることも必要なのだろう。なかなか実践できないことだが、うまくいった事例をとりあえず心の隅に置いておきたいと思う。

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