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「虎のたましい人魚の涙」で忘れた歌を取り戻す喜びをみた

「歌の丘」は人が立ち直るさまを描いた物語

「歌の丘」は、くどうれいん氏の「虎のたましい人魚の涙」に収められたエッセイだ。歌が大好きな著者がふとした出来事で歌えなくなってしまうが、長い年月を経て復活するいきさつを綴っている。

どんなに好きなものでも、ちょっとしたきっかけで遠ざかってしまう体験は、誰にでもあるのだろう。それがスランプなのか、自己肯定感の低下なのかははっきりしないこともある。それなのに、立ち直るきっかけはささいなことで、覚えていないことも多い。

しかし、どんなきっかけでも再び好きなものを取り戻せる可能性があるとしたら、生きていく上で希望になると私は思う。

著者が立ち直ったきっかけは、「下手でもいいから、自分で歌えたら歌になる」という気持ちだ。誰のために歌うのでもなく、自分のために歌っていく。人の評価を気にしないという姿勢は、周りの目ばかりを気にする私のような者にも大いに役に立つ。

私の音楽体験

私の大学時代は合唱に明け暮れていた。それまではテレビで「ザ・ベストテン」を欠かさずに見て、姉のお下がりの中島みゆきのレコードに針を落としていたのと比べると、想像もできない環境変化だ。合唱部に入ると、毎日が音楽体験にあふれていた。歌詞は北原白秋からゲーテまで古今東西の名詩に触れるのがうれしかった。音楽作りは、アカペラからピアノ伴奏・オーケストラとの共演など幅広く、プロの音楽家と触れる機会も多い。貴重な体験だった。

学業は全く顧みず、いつもサークル仲間とつるみ、下宿でも連日大宴会の毎日。ファミコンに興じながらのBGMはもちろん合唱曲だった。今は珍しいラジカセのダブルカセットで聞いていたのが懐かしい。

歌うことが大好きで、仲間と電車の中なのに大声で歌って、乗客が居なくなった出来事も記憶に残っている。この喜びが途絶えることなどないと思っていた。

歌えなくなった時期

そんな私にも、歌えなくなる時期がやってきた。大学4年の定期演奏会を終えると、卒業に必要な単位の取得と卒論の仕上げに忙殺された。その時期に、なぜか音楽を聞きたくない無音を好む状態が続く。燃え尽き症候群だと思っていた。いままでとは違う友達とつるむようになり、合唱仲間とは卒業しても疎遠になった。就職して同期とカラオケに行っても、同期が好んで歌う曲がわからない。クラシックにはまっていたとはいえ、これはショック。友達とカラオケへ行くのもおっくうになる。自分のために歌うのが何で楽しいのか理解できない。

いま思えば、観客や専門家に評価されるために歌っていた重圧から解放された反動だったのかもしれない。その後十年程度経ったであろうか。はっきりとしたきっかけは覚えていないが、カラオケを歌うようになり、地元の合唱団にも参加するようにもなった。夜な夜な名演と呼ばれる合唱音源をあさり、ベートーベンの第九合唱団に参加したのもこの頃だった。

音楽が身近になった歌の丘での出来事

「歌の丘」では、合唱が大好きだった著者が、ふとした先輩の言葉から歌えなくなってしまうことが描かれている。鉄の玉が喉に詰まった感覚。あんなに好きで得意だと思っていたのに、歌えなくなるなんて本人もショックだろう。読んでいる私も重い気持ちになった。歌えない時期は中学から大学まで続いたというから重症だ。この状態は、ギターの上手な彼氏に風の強い丘へ連れて行ってもらうまで続いた。周りで聴く人もなく、ちょっとやそっとの音量では隣に聞こえもしない。そんな状況でついに声が出せたのだ。「歌を歌うのはとてもうれしく自由な気持ちがして素晴らしかった」とある。もう歌うことはないかもしれないと諦めながら、やはり心の中では歌いたかったのだろう。その後依頼された講演では、石川啄木の詩で歌うことができたのが自信になったそうだ。

著者は涙ぐみながら丘の上で歌った復活の曲名を覚えてはいない。きっかけよりも、歌えた喜びが大きすぎたのかもしれない。

誰でも好きが嫌いになる瞬間がある

「下手でいい。自分が歌えたと思ったらそれが歌になるのだ。」著者はそう思うことで歌えるようになった。

文章を書くのが好き、絵を描くのが好き、人と話すのが好きなど、人の得意分野はいろいろだ。だれでも自分のちょっと得意なことを意識して、深入りしたり延ばしていこうとしたりする。好きが乗じてそのまま職業になる人がいるのも自然なことだろう。

しかし、好きなことが深化してこれまで見えなかったことに気付いたり、別の嫌なことと結びついたりすると、途端に苦痛を感じてしまうことがある。周囲の何気ない一言が人格を否定したように捉えられ、回復に時間がかかることもあるようだ。

好きなことを職業としなくても、趣味としてでもあれこれ理由をつけて遠ざけることはあると思う。

そんなとき、「下手でもいいからまたやってみよう」と思えたら、その人は今より強くなれるだろう。誰かが無理強いせずそっと背中を押す役割を押せたら、著者のように悩んでいる人は救われる可能性があるのだ。

「虎のたましい人魚の涙」は心の機微を感じる作品

「歌の丘」は、著者に再び歌を与えてくれた昔の恋人の幸せを思い、歌を取り戻し幸せだった時期を回想して終わる。特別な思い出をつくってくれた彼への感謝は残るが、なにがきっかけの曲だったかは思い出せないという。ただ覚えているのは、歌を歌ったときの風景。海の見える丘があっという間に朱色にくれていく様子。

「虎のたましい人魚の涙」は、20代なかばで令和3年第165回芥川賞の候補になった著者の最新作。タイトルからして短歌の作り手らしいリズムが心地よい。ありふれた日常をこれでもかと掘り下げ、自らの心情を浮き上がらせる。等身大な視点は、となりの女の子の生活をのぞき込んでいるような錯覚すら感じてしまう。特別な生活を送っていない著者の生活を疑似体験することで、読者は自分事のように共感をしてしまうのだ。


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