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第9話【家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった】〜僕の家族

私の息子は知的障害を持っているが、最近変わった。
誰に言われた訳でもないのに台所で洗い物をしたり、自らの呼称を「俺」と言ったりする。洗い物をするのは私の、言葉づかいが変わったのは放課後デイサービスの友だちの影響だ。いつもまでも変わらないと思っていても、少しずつ変わって遠くへ行ってしまう。

かぞかぞの最新話では、祖母がケアハウスに、草太がグループホームと作業所に、七実は東京で作家生活、母は実家で暮らす。戦略的一家離散とはよく言ったものだ。離ればなれになっても、草太はそれが「僕の家族」と言う。

グループホームへ行く現実を直視できない母親を置いて、草太はずっと前を歩いて行く。自身もこの道が間違っていないのか不安が無いわけではない。亡くなった父が伴走して大丈夫、間違ってないと言ってくれる。それで、ひとりでも歩けるようになるのだ。

ドラマの中では、草太が生まれたとき、母のひとみさんが「親が先に死んだ後この子はどうなるのだろう」と泣きじゃくるシーンがある。共感しかない。人の社会では親より子が長生きする。真理である。その時までに親に何ができるのか。子どもは子どもの力で生きていく、というのは簡単だがそんな脳天気ではいられない。

この子になにか特別な才能があったら、死ぬまで困らないだけの遺産を残せてあげられたら、他にどんな方法があるのだろうか・・・
親なら誰でも抱く思いを、こう書くだけでも涙が出てくる。

それでも、草太は自分の居場所を見つけ親離れをはじめる。仕事の意識も芽生える。親御さんがまっすぐに育てたたまものだ。

お金の心配は誰にでもある。誰もがいつかは死ぬ。
遠くを憂うよりも、近くを喜ぶ。
まずはできることを確実にこなしていく。
この物語には毎回勇気づけられている。

実はこのドラマを見るとき、BSアンテナの無い我が家ではNHKオンデマンドのアップを待って、視聴可能になったらすぐに見ている。今回は訳あって新幹線の中で視聴したので、トンネルが多い路線でWiFiは途切れがちだった。放送時間が50分間の番組を見るのに、倍の時間がかかった。それでも一気に見なくて良かった気がする。すすりなきながらスマホを見ていた乗客を、隣の人は不審に思っただろう。

いよいよ次回、最終回。
七実の進学をサポートした先生の出番はあるのか、うっとしくなってきた小野寺さんはどこへ行くのか、そして環(マルチではなくなっていた)はどう化ける?全部回収できるのかな。

追記
今回のお話は、このnoteを読んでから見るとさらに理解が深まるのでぜひ。

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