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夢に見る、なんてね

今でも夢にあなたを見る。
なんて、勝手に言ってくれないでよと思いながら、つい数日前に私はポロポロと泣いた。

文字にするとチープで、ありきたりで、バカバカしくすらある話を、それでもどこかに残しておきたくて、綴る。

私が本当に人生で1番大好きだった人は、今はもう私の全く知らない土地にいて、当然ながら私の知らない人と付き合っていて、たぶん私と彼の人生が物理的にこれから交わることは、おそらくもう2度とない。
だからそんな人のことは忘れてしまうべきだし、忘れられてしまうことは悲しいけれど、それが恋の終わりで、別れるということだと言い聞かせてきたつもりでいた。私は彼のことに関して器用ではないから、潔くフォルダを削除なんてできずに、じわりじわりと、フォルダから一歩ずつ遠のくのが関の山で、それでも3年近くの長い年月をかけて、ようやく忘れかけられる気がしていたところだった。

なのに、半年以上ぶりに端末を通して声を聞いた。
金曜日の夜、ちょっと電話できる?と、彼は私が懸命に取った距離を、たった一言で手繰り寄せる。きっと飲み会の後で、そんな時に出る発言は大抵、言うべきじゃない本音で、そんなことは電話に出る前から薄々気づいていた。それでも、振り払う強さがないから、電話に出た。
前座のような近況報告から、過去の思い出話、聞きたくない今の話。
若干の沈黙の後、弱くてずるくて最低な彼は、弱くてずるくて最低だから、こんなことを言って自分だけ気を楽にするみたいでごめん、と前置いて、
今もよく夢であなたを見る
と言った。
わかっている。彼の言う「うまくいっていないし好きではない」彼女と別れてもないのに私にこんなことを言う資格は彼にないし、田舎だから外堀を埋められて別れられない、がどこまで事実かもわからないし、自分だけは安全圏にいながら私にそんな甘い言葉を囁くな、と。
だけど、全部が忘れられなくて、美化しているなんてことを差し引いても今もあなたが好きだと、返事をしない私の息遣いを窺うようにぽつりぽつりと発される言葉に、どうしても私は揺らいでしまうのだ。
自由で自分を大事にするあなたのままでいて、なんてこと、他の誰が私に言ってくれるだろう。
多分これからもずっと好き、という3時間の末の台詞を、どうして簡単に忘れることができるだろう。
こんなこと、考える時間も勿体無いし、冒頭にも書いた通り、私たちの人生は絶対にもう交わらない。それは確かなのに、何一つ彼を突き放せないままこのnoteを書いている。
別れた後、この距離をわざわざ超えて何度か会って、話をしたことを彼は意外と覚えていて、つくづく他人の思考なんて何もわからないなと思う。少なくとも私には、彼は完全に切り替えが終わっているように映ったのに。

私だけがまだ忘れられないと思いながら生きるのと、彼もずっと私を覚えていてくれると知って生きるのと、どっちが良いとかそんなことを考える今の時間も、無駄だとわかっていながら、痛さと共に、熱を生む。

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