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【小説】 招待状とキッチン

もしかして。以前送ったメールで気を遣われているのかと思った。
別に同学年の親しい人がいなくても、顔見知りの先輩たちがいればそれなりに楽しめる。


披露宴を上手く切り抜けるくらいの処世術は身に付いていると思う。
披露宴は式を挙げる新郎新婦とか親族のためにするのであって、本人たちが式に出席してほしい人を呼べばいい。


さっきのメールでは私に気を遣って私と同学年の後輩を呼ぶといっているのか、ただ本当に来てほしいから呼ぶのかわからなかった。
気を遣われている、というのがこちらの深読みだったら相手に変な思いをさせてしまうから、『来てほしいと思う人を呼ぶのが1番ですよ』と返信しておいた。「来てほしい人」には、もちろん自分も含められているはずだ。
文面も上から目線にならないように配慮したつもりだけど、果たしてどう受け取られるだろうか? 


 最後の最後にいっとくけど、本当は、先輩たちに混ざって、すぐに披露宴の連絡をくれたことが嬉しかった。


披露宴会場からほど近い彼女の自宅で、シンクにたまっている食器を洗っていた。
多分この場所が唯一彼女とゆっくり話せる。

 彼女は「お客さんなんだからそんなことしなくていいのに」といいながら、私の隣に立ち、泡のついた食器をすすぎ始めた。


ダイニングキッチンから見える目の前の光景は、私にとって少々賑やかすぎた。
十二畳ほどのリビングでは黒いテーブルが存在感を示している。その上にはビールやワイン、飲み終わった缶や、中途半端に残された料理がのっかっている。アルコール類のほうが人数に対して少し多めなんじゃないか、と思うくらいの量で用意されていた。テーブルの周りでは酔っぱらいたちが思い思いに喋り、話に花を咲かせている。喜びや楽しさが部屋中を埋め尽くすように膨張している。アルコールがそうさせるのだろう、賑やかさは開け放たれた窓から飛び出して、近所を好き勝手に走り回っているようだった。
彼女は彼らの自由さに口元だけで微笑んだ。大学を卒業して2年目の結婚は、周りと比べると随分早い。


「ドレス姿、綺麗でした」
騒がしさにかき消されそうな声でいった。
「唐突だね。 ありがとう」
彼女は食器をすすぐ手は止めず、こちらを見ながら笑顔で礼をいった。
「馬子にも衣装って感じでした」
すぐに軽く冗談を返した。
「はいはい、すくにそういうこと言う」
「旦那さん、思っていたような見た目と違いました。もっと背が高い人だと思ってました」
水道の蛇口から流れる水音がシンクにぶつかって跳ね返る。
「うん、そうでもないよね。私がヒールはくと3センチくらいしか変わらないよ」
ポツポツと静かな会話が続いて、シンクにあった食器類は徐々に減っていく。
「疲れたでしょ。少し休んだら」
「疲れてはいるけど、休みづらいです」
彼女はどうして?という顔をこちらに向けた。
「スカートなんて着なれないものを着てるからです。いますぐ楽な格好に着替えたいです」
それならシャツとジーパンを貸す、といって手を拭い、服を取りに行ってしまった。
私は一人で残りの洗い物を続けた。
後でまとめてすすげるように、泡のついた食器を重ねていった。
しばらくすると彼女が戻ってきた。その手にはライトグレーのシャツとジーパンがあった。
「はい。これ。そっちのドア出て、右のところで着替えてね」
彼女はドアを指差し、服を渡しながら着替え場所を教えてくれた。


教えられたように廊下に出て、2、3歩行くと、右側にドアがある。ここだと思いながら中に入ると、床に敷かれたマットがストッキング越しに沈む。正面に大きな鏡のある洗面所で渡された服に着替え終えると、鏡に映る自分の姿を見た。ラウンドネックのグレーのシャツと細身のジーパン。シャツは肩が少し狭く、ジーパンはお腹周りから太ももにかけて少し窮屈だ。この服を見て唐突に、記憶は大学生の頃に引き戻された。シンプルなキャミソールかシャツに細身のジーパン。それにカーディガン。大学の構内で会う彼女はよくこんな格好をしていた。


脱いだ服を持ってキッチンに戻る。そこには彼女の旦那さんがいて、二人で何か話していた。旦那さんはアルコールが回っているらしく、赤い顔をしていた。彼女が夫の肩に触れながら、飲みすぎないでよ、と小さく注意すると、旦那さんはわかってるよ、といいながら冷蔵庫からビールを取り出した。いかにもいつもの日常らしいやりとりだった。
彼女の旦那がキッチンから宴会の輪の中に戻るのと入れ替わりに、元の場所に戻った。
「服入れたいんで、袋もらえますか?」
彼女にむかって声を掛ける。
泡にまみれていた食器は無くなっていた。
「私の服なのにちゃっかり着こなしてるね」
着替えた私を見た彼女は茶化すようにいった。
身長は先輩とほぼ変わらないか丈は問題ないが。
「そうでもないですよ。シャツだってジーパンだって少し幅がきついんです。この服、伸びてしまうと思います」とウエスト部分を触りながら答えた。
紙袋をもらって脱いだ服を入れ、鞄とまとめて置いた。ついでに酒で勢いづいているテーブルまで行き、もう使われていない皿やコップをシンクに置いた。

そのうち3人、4人と席を立つ客が増えて、比例するようにシンクに運ばれてくる使い終わった食器も溜まってきた。一息ついて酒の場に加わっていた私は、キッチンに戻ると洗い物を再開した。
彼女が見送りのため、玄関先で「ありがとうございました。またきてください。」と客人たちにお礼を言う声が聞こえた。楽しさを十分に堪能した人々は若い夫婦に祝いの言葉を口にし、彼女たちの新居を後にする。
テーブルの周りで酒を飲みながらいつまでも話が尽きないのは、旦那さんの学生時代の友人たちだろうか? その気楽な雰囲気をチラリと見て、彼女は数分前のように私と並んで立ち、食器を洗い始める。
私が泡のついたスポンジで食器を洗い、彼女が食器に付いた泡をすすぎ、食器乾燥機に並べる。一連の流れ作業はスムーズだ。


「今日は式に呼んでもらってありがとうございました。まさか本当に呼ばれるなんて思わなかったです」
「2月に会ったときに『結婚式の際にはぜひ呼んでください』っていってたじゃん」
「いいましたけど……」
確かにいった。2月に会ったとき、別れ際、マクドナルドの駐車場で握手をしながら、冗談半分に添えた言葉だ。
「まさかそれで」
「当たり前でしょう」
あんな口約束とも言えない様な言葉を覚えているなんて、思いもしなかった。普通なら受け流してしまいそうなことだ。
「一番に知らせたんだから」
知っている。彼女から結婚式に来てほしいとメールをもらって後、誰が式に参加するのか質問した。返信されたメールに羅列された名前の中には、彼女の大学時代の友人。私からすれば大学の先輩にあたる面々しかいなかった。
「一学年上の人ばっかりですね」と返したところ、彼女は私の同学年、つまりは彼女の後輩を何人か招待したらしかった。
だから少なくとも大学の後輩の中では一番に招待されたということになる。
私は全部の食器を洗い終え、手についた泡を洗い流しながらゆっくりといった。
「結婚式、呼んでもらって、嬉しかったです」
視線は泡が流れていく自分の手にとどめ、声はトーンが低くなった。意外なほど大きな水音に消されてしまうくらいだった。
「それに一番に知らせたとか……。そんなのうれしすぎます」
軽く水を切り、タオルで手を拭いた。
自分で言って、はにかんでしまうのがわかる。
自分の気持ちを率直に言葉にして伝えるのはかなり照れる。
腰の辺りをポンと叩かれ、隣の彼女が小さく笑った気配がした。

そろそろ帰ります、と切り出し、荷物を手にした。彼女は今までの客たちにもそうしたように、玄関まで見送りに来てくれた。
「今日はありがとう」
「こちらこそありがとうございました。服は今度返しますから」
「うん、いつでもいいよ」
ふと彼女の旦那さんがいないことに気づく。見送りは夫婦二人でしていたはずだ。
不思議に思って彼女に尋ねた。
「酔っ払って寝たみたい」
「そうでしたか。それなら旦那さんにもありがとうございましたとお伝えください」
伝えておくね、と返した彼女に、「また今度ゆっくりご飯でも食べに行きましょう」といつになるかわからないような、でもすぐにでも実現できそうな当たり障りのない約束を口にしながら、右手を差し出した。
彼女は そうだね、と言いながら私の手を握った。私も彼女の手を握る。
さっきまで水と泡にさらされていた彼女の手は冷たいはずなのに、冷たくは感じなかった。
きっと二人とも手が冷えていたから温度差を感じないのだろう。

彼女と私の手は同じ温度でここにある。それが妙に嬉しかった。

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