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お酒が弱い私でも、つい居てしまう場所だった

「おーい、行くぞー」と声がかかり、「はーい、今行きまーす!」と大声で返事をし、道着を急いで鞄に詰め込んでロッカールームを出る。

向かう先は京王多摩川の駅前にある『なんざん』。階段を少し降りた半地下にある赤ちょうちんの掛かっている居酒屋だ。

初めて連れて行ってもらったのは20年近く前。社会人になってからテコンドーを始めた。練習後に行くお店が『なんざん』だった。ストレス解消とダイエットのために何かしようと探していて、テコンドーというものに出会った。テコンドーという名前すら知らなかったのに、なぜか細々と続けている。

『なんざん』は、お店を入って左側がカウンター8席ほど。右側にはお座敷があり、20人入ればいっぱいのこじんまりしたお店だ。メニューが書かれた赤や黄色の短冊が、壁にぴらぴらと貼られている。

大体いつも10人くらいで連れだってお店へ。靴を脱いでお座敷に上がり、おばさんに「なま」「ホッピー」「グレープフルーツサワー」など、飲み物を注文する。飲み物が届く間、おばさんから手渡されたメモに注文する料理を書いていく。

焼き鳥盛り合わせ・生野菜サラダ・牛すじの煮込み・ポテトフライなどいつものメニューを書きこんでいく。「適当に頼んで」と言われ、四面の壁に貼られたメニューからくるくると頭を動かして選ぶ。

真っ白に凍りついたグラスやジョッキがテーブルに届き、「かんぱーい」とみんなでグラスを合わせる。「この一杯のために頑張ってるんだ」と、どんどこジョッキの飲み物が減っていく。スポーツマンの飲み方は豪快だ。お酒の弱い私はちょびちょびと口をつける。すぐに赤くなり、飲みすぎると頭が痛くなるので控えめにお酒を楽しむ。飲めなくても、集まっておしゃべりしてご飯食べて・・・という、この仲間とこの空間にいるのが大切な時間だった。


道場にはいろんな人たちが集まっている。年齢は未就学児から60代。職業も性別もいろんな人達がいる。みんな、テコンドーというものに興味を持って集まってきた人たちだ。不思議なつながり。

今日の練習はどうだったか、組手の蹴りはああだった、型の動きはこうだった、などなどテコンドーの話はもちろん、仕事や恋愛、人生論まで語られる。

そんなおしゃべりが続く中、どんどこアルコールがみんなの中に入っていく。顔が赤い人、陽気にしゃべる人、語る人、ケイタイいじってる人、端っこで寝てる人…と、みんなそれぞれの時間を楽しむ。私は追加であったかいウーロン茶を注文して、お酒の横に置いておく。冷え性なので一応カラダが冷えないようにと気を付けている。グラスに入ったウーロン茶は、時に中身がめちゃくちゃ熱かったり、ぬるかったりする。焼きそばの味付けもかなり濃いぃ。けれどそんなとこも、このお店の良さだった。

『なんざん』は残念ながら閉店してしまった。お店のおばさんが「おやすみー」と途中でおうちに帰ったり、お店を出る時におじさんが「どーもねー」と声をかけていたのを思い出す。年月を重ね、みんなの背景も変わってきて、飲みに行くことも少なくなった。


街を歩いていると時々、赤ちょうちんのお店を見かける。お店の前を通ると、焼き鳥を焼いているにおいや、揚げ物なんかの、そのようなお店特有のにおいが流れてくる。流れてくるにおいを嗅ぐと、『なんざん』の煙たげで電球のオレンジがかった店内を思い出す。お酒を飲んだ時のふわっとした異空間にいる感覚やそのとき抱いていた感情、果汁より焼酎の味が強いグレープフルーツサワーや焼きそばの味。仲間と同じものを楽しみ、目標を持って努力した日を懐かしく思う。あぁ、いい時間だったな。いい場所に、いい仲間と居られた。

あの頃には戻れないけど、ふわっと空気を変えてくれるお酒という魔法の飲み物を飲み、また違う場所で、新たな、今の自分に合った大切な時間を作っていく。

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