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Balletお稽古日記No.15 2月21日(水)

奇跡が起きた話は長くなるので後半に書き記すとして、週末から戻っていた実家から昨日帰ってきて今日はパートもなかったのでお稽古に行くことにした。
水曜日に休みが取れたら、国分寺でご夫婦でやってらっしゃるお教室の女先生のところにお邪魔したいと考えていたのに、調べたら今日は運悪く休講だった(つд⊂)エーン

午後の男先生のクラスと西荻窪のクラスの時間が全く一緒で、どちらに行くかまた迷い始めたので最近恒例になっている「バス決め」にした。
私の知っている先生方はどの先生も本当に素晴らしく、毎回どこに行っても気づきがあるのでどの先生のクラスにも出たいが、パートや家族の予定の兼ね合いで常連になる事がなかなか出来ないので無礼ながらこの様な決め方をしている。

今日はバス停に着いた途端吉祥寺行きがきた。
西荻窪のお教室に決定だ。この時間は背の高いイケメンのM先生だ。
彼のクラスを受けるのは3回目である。
細かく物理的な教え方をしてくれる先生なので、前回前々回と先生のちょっとしたアドバイスがテキメンに効き、腑に落ちるスピードが早くて驚く。
あまり大人に教えるのに慣れていない感じが最初は冷たいと感じてしまったが、今回はとても丁寧で優しくそして本当は熱い先生なんだなと感じた。

今日もバランスの取り方で、なるほどぉぉぉと思う事を教えてもらった。
5番のススからパッセにあげた足をアティチュードにしたのだけどね、「5番で開いたススのまま後ろ足を上げてしまうと小指側に行ってしまうので若干縦足気味になってもいいから親指、人差し指側に軸を取ってあげないと後ろに倒れてしまいますよ」と言われた。足裏の3点を意識するあまり多分私は少し後ろに傾いていたのだろう。
小指側でまっすぐの軸を作って親指側でその軸を強く押し上げる様にするとグラグラせずいつまでもバランスが取れる様な気がした。

あと、ピルエットの時のプリエで息を止めてしまう癖がある様で「プリエで吐いて、立つときに吸う」と良いと教えてくれた。
確かにプリエで息を吐くとお腹にキュっと力が入って、立ち上がる時に吸うといつもより伸び上がれる気がした。(気のせいかしら?)これはまだ意識しないと無意識に息を止めてしまうのでピルエットの前には気をつけるべきことが沢山あって早い所無意識に息を吐いて吸ってができるようになるといいなと思った。

西荻窪のお教室は1時間45分のお稽古時間のうち終わりの15分がポワントのお稽古になっている。とても短いのでいつも履くのに焦りまくってしまう。
しかし、急いで履いてしまうと立ちにくくて結局途中で履き直さねばならないので、急がば回れで立ちやすいように履くようにしている。

あと今日、おっ!と思ったことは「ピケ」。
ちゃんと後ろ足に居て、その後ろ足を押して目的地に立ち上がらねばならないと気をつけているのだが…先生は前足に上から骨盤を乗せるようにしてみてと教えてくれた。

どうやら私は後ろ足で押すことに必死になっていて、骨盤が落ちてしまっていたようだ。つまり…後ろ足にがっつり居て腰が落ちている状態で下から上に上がるようなムーブメントになってしまっていた様だ。
ピケする前の片足タンジュにした時の片足プリエも骨盤はまっすぐどこに軸を持つかを明確にしながら、突き刺すように前足の上に立ち上がらねばならない様だ。
骨盤を基準に考えてみると思うより範囲が狭いものだなと思ったりしたよ。
今日はピケのアラベスクだったけど、ピケターンにもきっと使えるだろうからやってみよう!

わぁ、いい先生見つけちゃった!と思ったのに…先生は3月いっぱいで西荻窪のお教室をお辞めになるそうだ(つд⊂)エーン
ありゃりゃ、パートを木曜日休みから水曜日休みにしようかな?と思う程度に先生のクラスが好きになっていたのでとても残念。
まぁそんな事もあるよね。まだ最後のお稽古ではないので今考えても仕方がない。
おいおい考えよう。

もっと素晴らしいアドバイスがあったけれど、今はまだ「???」と頭が整理されていないのでピンと来るまで待つつもりだ。
お稽古メモはここまで、これから先はちょっとした私の心の中の事。

大袈裟かも知れないが…私たち家族にとっては奇跡が起きた。

母の検体の結果が19日に出たのだが、大腸癌の進行は酷かったがその部分をごっそり無事に摘出出来たが、リンパ節に転移している事は避けられず、見た感じステージ4まで進んでいそうな感じだと手術直後のお医者さんはおっしゃっていた。
抗がん剤での治療は年老いた母には厳しい処置になるので勧めはしないし、治療をしない場合の余命はあと1年だと告げられていた。

抗がん剤治療の厳しさは60代だった義父の食道癌の時に嫌というほど見ていたので、80歳の母にあんな辛い思いをさせなければならないのか?
そして、その様な苦痛が伴う治療を行わなければ母の命はたった1年になってしまうのか?ひどい二者択一だなとこの数週間泣きに泣いたし、悩みに悩んだ。

結局悩んでも泣いても仕方がないヒトはいつかシぬし、余命と言われるものがわかっているならその時間だけでも私自身が後悔しない様に母に接していようと決めた。

…のだが…検体の結果を聞きに母と父と私の3人で病院に付き添い先生からのお話を聞いた所「結構、大腸に出来た癌が深い所まで食い込んでいたので初見ではリンパ節の方に広がっている様に感じたのですが検体で調べた所、薄い層で止まっていたので抗がん剤治療もいらない程度…ステージ2に行くか行かないかくらいでした」と言われた。

どういうことだ?(・ゝ・)  とキョトンとしていると、何も知らされていない母は
無邪気な明るい声で「じゃ、悪い所は全部とってくれたの?お薬飲んだり、通院治療しないで普通にお家で生活できるの?」と先生に聞いたら先生はにっこりとして「そうですよ、良かったですね」と答えてくださった。

「最近、食べたくなってたくさん食べちゃうんだけど暴飲暴食はやっぱりダメよね?」と先生を笑わせる始末だ。「悪くなって詰まりそうな大腸のかなりの範囲をごっそりとったのでスッキリして食欲が出ちゃうと思うけれど、暴飲暴食は健康な人にでも良くないですからね」と優しくたしなめてくれ聞いている私までクスリと笑ってしまった。
父はまだ理解出来ていないようで直立不動のままじっとその様子をみていた。
ともかく、今後は半年に一度経過観測の為に検査をして先生の診察を受けるということで終わった。母はつくづく運のいい人だ。

娘の受験、母の病気、息子の入籍。
2024年が明けてすぐ、自分ごとではない心配事、悲しい事、めでたい事がいっぺんに押し寄せていた。体は一つしかないのに様々な事で自分がどう動くのが最善解なのか?を常に考えてしまい、疲れ果て義母に弱音を吐き相談をしたら彼女は優しくこんな事を言ってくれたよ。

「生きてると色んなことがいっぺんに起こるのよね。不思議よね。
でもね、結局全部がまるく収まるからね。大丈夫よ」
と。
私は義母ほど頭がよく、優しい人間を知らない。
彼女がそう言ってくれただけで大丈夫という気持ちになれた。

そう、人生はいつもなるようになる。
いつか全ては丸く収まるのだ。

一つ目の悲しいことが丸く収まった。
あと二つもきっとそのうち丸く収まるのであろう。



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