脳死なおたくではいたくない

ずっと思っていることだけど、昨日か一昨日くらいにふと降りてきたお話。
noteに書くほど思い出せてないので簡単にだけど、おたくとしてこういたいなっていう自分の中の考え。

脳死でいたくないっていうのは、「好きな人のやることだからなんでも好き」っていう状態でいたくないってことです。
実際何かしらの新しい作品の発表があって見てなくてもこの人だし好きだろうなって思うことはあります。
でも実際にそれを好き!って言うにはまずちゃんと見て自分の中でどう感じるかを考えたいというか、それを見て感じたものを大切にしたいというか。

例えば好きなアーティストさんとかがいてその曲が好きなのではなく、そのアーティストさんが好きって言えるくらいその人たちの曲どれもが好きになっているとします。
それでも次に発表する何かも好きとは限らない。
新しい方向性求めて自分の好きじゃない方向にいってしまうかもしれない。
本当に迷走してん??ってなるものができあがってしまうこともあるかもしれない。

そんなときにちゃんと好きじゃないって言えるおたくでありたいのです。

別にそれは本人に好きじゃないです!って言うってことではなく。

誰かしらに評価を伝えることなんてしないけど、好きになれていないのに疑問を感じているのに好きな人だから、同じおたくたち好きだって言ってるしって形で好きとは言いたくないのです。

もちろん好きだと言われることは誰にとっても嬉しいことだと思うけれど、いろいろと試行錯誤して作り上げたであろうものを何も向き合わずにただ今までの実績だけで好きだという感想を言ってしまうのは失礼かなと。

好きじゃないって言う方が失礼かもしれないけど、誰かが真剣に作り上げたものにはおたくとしても真剣に向き合いたい。
それをしなければ真剣に作り上げた意味もないし、私が好きだと思う対象のほとんどは誰かの心を動かしたいって思っている方が多いので、実際にそれができていないのにできているかのような評価を1個人の呟きでもしたくないなあと思うのです。

誰かが真剣に作ったものを私も真剣に触れて、見て、聞いて、そこで感じたものが大好きだと思えるものだったのならそれは最高だなと思う。
それが最高だからこそ嘘の最高を作りたくない。

大好きなものがいっぱいあってそれに情熱をいっぱい向けて、それについてお話したりとかしてる時間も含めて大好きなので、わざわざ嘘の大好きを作りたくないのです。

そういう風に思うようになったきっかけはたぶん芸能ニュースとかで明らかに人として良くないことをしてるのにコメントで「○○さんは悪くないです!」みたいなの見て「ふざけんな悪いだろ」って思ったことなんですけどね。

作品に対してだけでなくとも、いわゆる盲目な擁護みたいなことはせずに常に正当な心からの気持ちを表に出していたいです。

友達とかに対しても大好きな人であっても嫌なことだめなことはきちんと批判できる人でもいたいと思うしね。

話がまとまらなくなったけどもそういうことです!!!

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