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 ほんねがたり


   (約1,600字)

文章の7割を「平仮名」にすると、見た感じから全体の印象が読み易くなるそうだ

本音を「ほんね」にしたところで、あまり好かれない記事になるのは容易に想像できましょう

心身が充実していない方は、この先は読まないでいただきたい

なぜかと言えば、私自身が体調が芳しくなく、温かい文章を書く気力が無いから。

体調がわるく、頭の回転が鈍っているので、そんなときに優しい文章は書けない

書くことがライフワークで。

というか、書くことしか取り柄がないと心底、思って生きている

noteで記事を書くのをやめたことで、他のプラットフォームに投稿しました

でも、そこは書くプラットフォームの本命ではないから、身が入らない

SNSで配信するなら、次は誰にも言わないと決めている

たとえ家族であっても教えない

家族からは「noteのアカウントを消してしまう方がいい」と言われた

私の2年半の記事を簡単に無かったことにはしたくない

note記事を消して記憶まで無くなるなら「それもアリ」かもしれないが、あいにく私は記憶力がそんなに悪くない

しかも、好きなことについては恐ろしいくらい昔のことまで記憶している

中学生時代に田んぼが青々としている初夏の午前中、涼やかな風に吹かれた体育館に寝そべって、いつまでも山鳩の声を聞いてシロツメクサを眺めた静かな日

初めての山歩き、
おばあちゃんと山の境(家の土地が何処までか)を確認しに獣道を掻き分けて、イノシシの棲家に手を入れたり、猿と出くわして小声になったこと

お茶の畑に見つけた蜂巣をきょうだいで取ってきて、蜂の子をバター炒めにして食べたオヤツの味とか、畑の匂いとか

エピソードがいちいち田舎者の一頁だが、つぶさに覚えていて、あまり印象の良くないことは話して嫌がられたこともある


身体の調子が悪いと、いやに過去の出来事を思い出したり、思考が内向きになってしまい、それでまた悪い想像からキレの悪い‥‥というか、鬱鬱とした作品が出来てしまったりしていた


次から次へと浮かんでは消える小説の卵が、虚しい気持ちにさせた

それで、ここで読んでもらえないならフォローを外して忘れ去られてしまおう、というところまで気持ちがおよんでしまい、

ひたすら辛かった


本を読んでも、音楽を聴いても、自分が気に入った場所に足を運んでみても、

楽しいけれど、楽しめないでいた


スタエフの配信は楽しみで、

‥‥でも聞いた後に、また何だか調子の出ない自分を実感して悲しくなる


noteの作品を読むと、この作品のどこが面白いんだろう‥‥とか、スキをつける感覚が分からないとか、お友達ごっこかなとか、学生のサークル活動みたいとか、自分の感覚が冷えきっているように感じた


誰かを揶揄した作品かもしれないけど、全然感動しない作品をご苦労様、などと心の中はひどい言葉で罵っていた

フォローしている人ではなかったから、余計に蔑んでいたのだと思う

心の中で思う分にはかまわない

それをコメントしたり、何かに見える形で発信するから問題は起きる


それくらいは小学生でも分かるけど

大人になっても、
年齢を重ねても、
どんな経験を積んだ人でも、

くだらないことを発信する人がいるんですね

それを楽しいと絵文字で表現したり

いい作品だと思っても、コメント欄が作品とは関係なかったら「本屋の本にイタズラ書きがされているみたいだ」と嫌な気分に陥る


これはタワゴトですから、気にされないでください


そのイタズラ書きが、楽しいんですものね


私は何をどう間違ってしまったんだろう

中には涙が出るくらい素晴らしい作品にも出会えた


堂々めぐりの今日が また始まる


私の言葉は間違っていたのかな


大切に思う人だけじゃないから
人生は面白い

きっとずっと変わらずに恥をかきながら毎日が過ぎていく


でも、信念だけは変わらない

書くことで人のためになりたい

社会が「必要ない」って烙印を押そうが、書くことはやめない


フォローは読む約束じゃない

スキは社交辞令じゃない


こんな人間でもよければ、また読みにいきます







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