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自分が理解できることを信じてみる

     (約1,000字)

ゆきわ@ココオルなかまさんの記事です。
RADWIMPSの曲🎧が聴くことが出来ます。

ひとがストレスを感じる度合いは、ヒトそれぞれです。
人混み中で肩がぶつかっただけで、反射的に「ごめんなさい」を言う人がいても、ぶつかってきた本人が謝る人を睨みつけることもある。

悪いことをする人が理不尽に威嚇したり、暴力を振るったことで関係ない人が巻き込まれたりする世の中。

昨日、驚いたことがあった。
「本当に賢い人は敵を作らない」
私は、この一言は微妙に違っていると思う。

関わらないだけで、その賢いと思われる人にも「敵」は存在していて、それを回避する能力があり、未然に防ぐ知恵があるだけなのだ。

ひとが思いもかけないときに巻き込まれるのを事故と呼ぶ。
自分がきっかけを作ったわけではないのに、悪感情を持った人に翻弄される。狡猾で、そういう人物は何故か、恐ろしく機転が利くから一見、限られた範囲では有能で崇められる。たとえ誰かが深く傷ついたきっかけを作ったとしても、責める人がいない。

丸め込まれる場面を垣間見ることがある。

それを良しとしている人間が追随しているから
どうしようもない。

精神的な病気を抱える人から、暴力を振るわれたことがある。
学生時代、バスを待っていたときに障害者の男子から叩かれた。様子が変で、すぐその場を離れたが、もし刃物を振り翳されても、彼は責任能力がないから、罪には問われない。

医療や福祉、法律の基礎の知識は入り口ではあるが、勉強して資格を取った。

精神的に追い詰められた人には励ます言葉が悪魔の言葉になることもある。
寄り添う内に、違った感情に置き換えられてしまう事例もある。

友達は障害者手帳を持っているが、週に4日は働いている。
それでも、病気で苦しんだ時期を忘れていないようだ。私とは会うことができるのに、他の友達を許容できない。

ひとを理解するというのが難しいのは、子供の頃から誰でも知っている。

仕事をしている人が、一旦、病気療養の理由で離職した場合、次の就職が難しくなるのは聞いた。

私は出所の分からないメールなどで夜、眠れない時期を経ているから、精神的なバランスを崩す怖さが分かる。
私の神経が細いと思っていないのは、当の本人だけだろうか。

一人だと誰も助けてくれないこともあるが、
私は離れて暮らす家族には話していた。

冷静に考える。
俯瞰でものごとを見る。
世の中のせいにしても救われない。
自分が理解できる範囲であれば、信じる。

自分に嘘をつくと苦しくなる。

誰かの助けになることよりも
まずは
自分の気持ちを大切に暮らす。

「共存共栄」
しっかり歩めるために。


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