正気と正義
(700字)
自分がしてきたこと、
それがどんな過去だったとしても、
自分だけは誤魔化せない。
これくらい、他人が見てなきゃ分からないだろうってことが、人生で出会う場面がある。
私はそのとき、他人になる。
もし、今日の仕事帰りに交通事故に遭うことになったらとか、
私は小さな、法律では裁かれなかった
ささいな罪を
走馬灯のさいちゅうに後悔するだろう。
これは正気の中で決めた正義感。
正義感なんて、邪魔なんです。
中学生のとき、カンニングをした人を
友達が見つけて、放課後の職員室で
先生に報告した。
私には忘れられないテストだった。
3教科あって、なんでか忘れたけれど
ペナルティを課されることがあった。
一人、勉強が出来ない人がグループにいて、
一生懸命に教えた。
でも覚えが悪かった。
体育の授業は苦手だった。
マラソン大会があると、ビリを走る私に、追い越していくとき、息を切らしながら「がんばれ」と言って走っていく人だった。
だから、私は勉強が苦手なその人を
助けたいと思った。
私は全問正解のテスト用紙を机の端まで
ずらしたことがある。
下を向いていた。
勉強が苦手な人は、ヒドイ点を取らなかった。
私の解答用紙を見たかどうかは分からない。
間違えているところがあったのなら、同じ問題を間違えて、バレるかもしれない。
返ってきた100点が、私には0点に見えた。
正義感が友情を邪魔したり、
正義感が友情を深めたり、
悪事が感謝されるとか、
悪事で泣かされるとか、
不条理だらけの社会なんだ。
でもね、
一つだけ確かなことは、
自分がやったことは神様がみてなくても
自分だけは知っている。
私は自分に嘘をつきたくない。
正気なら、多分つけないはず。
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