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軽々と超えて行かれること

           (約700字)


私はものを書くことが好きで、それについては昔から少し自信がありました。

漢字を覚えるためには、人の倍は時間をかけました。
小学生の頃、毎日の宿題では他の生徒が1頁提出するのを2頁、提出しました。
中学時代には英単語、数学の計算、漢字の3科目は毎日テストがありました。

追試になると、クラスでグループ分けがされていて、連帯責任で体育会系の罰が与えられたので、こっそりカンニングに協力したこともあります。(これは褒められることではありませんが、グラウンドをマラソンで5周とか、縄跳びを数百回とか、当時は悔しくて絶対あり得ませんでした)

普通の科目についても、人よりも覚えが悪いので、人の倍は机に向かいました。

文章や料理について、ある程度は日頃の知識や勉強でどうにかなる部分はありますが、好まれるクリエイティブな出来上がりは、センスがあるか無いかに左右されます。

私は今まで、他人の作ったものを高く評価したり、称えることを、心から喜べる人間だと思っていました。実際、それが通常運転でしたから、自分より優れた人にあっても、嬉しく思いました。

でも、今日は言葉の才能でかなわない、と思うことがあって、悔しいという感情がわいてしまいました。称えることは口では言えるし、
メッセージとして残せるけれど、このどうすることも出来ない気持ちは書くことで昇華するしかないと判断しました。

まったくかわい気のない文章です。
でも、これが今の私です。
超えられない壁を作る人を嫌いにはなれないので、もっと工夫して文章力を身につけるしかありません。



〜くやしい今日は、晴れの私をつれてくる〜

       ちび蔵 『心の格言』より


※そんな著書はありません。



レースフラワーの花ことば  『 感謝 』


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