剣道での想い出

小学校低学年から高校の途中まで、10年以上剣道をしていた。

剣道では稽古の始まりと終わり、2回の「黙想」の時間がある。他所の道場へ出稽古に行った時にも稽古の最後には必ずあったので、基本的にどこの道場でも同じことをするのが剣道の作法、決まり事なのだろう。


その稽古場での最高の位にいる師が、独り正面に座り、弟子達はその向かいに整列して正座の状態で並ぶ。

防具は自分の右斜め前の位置に置く(小手を二つ揃えて並べ、その上に面を乗せる)、用意が整うと、弟子の長が「もくそう!」の掛け声を合図に、師が「パンッ」と手を叩くまで(黙想を解く合図)の間、正座をして精神を集中する。時間にすると1分~3分ぐらいだろうか(時間の感覚を超えたような状態になるので、その間は長いとも短いともあまり思わなかった。)

その黙想の最中、何をするべきなのか、何を考えるべきなのか、如何なる時間なのか、などを誰かから教わったことは一度もなかった。おそらくそれは教えたり、説いたりするものではないと、暗黙の了解があるのではないだろうか。己自身で考え、捉え、心掛け、各々が実践するべきなのだろう。

稽古が始まる前の黙想では、私はいつでも「今日の稽古は何時に終わるのだろうか、暑いな、寒いな、嫌だなあ」などと様々な雑念が私の心の中を渦巻いて離れなかった。

しかし数十年経た今でも、「稽古の終わりの黙想」では、清々しい至福の瞬間であったことが鮮やかに蘇る。とにかく気持ちが良かった。

あれ程までに気持ち良い瞬間であったのは、何が原因で生じていたのだろうか。

まず、身体的な作用が大きい。それまでの長く厳しい稽古中、ずっと被っていた「面」(頭を守る為に金具についた頭巾)を、黙想(稽古の終わり)で初めて外すことが許される。面は重く、痛く、暑く、苦しいものなので、それを解く瞬間は、顔の皮膚の毛穴の一つ一つまで、全神経が解放されるような気持ちの良さがあった。風など全く起きないような体育館の中でも、微かな微風が顔に当たるのが感じられる。面は両耳をきつく塞いでいるので、面を解いた瞬間、それまでは聞こえなかった音(自然音など)が鮮明に心地よく響いてくる。夏では蝉の声であったり、校庭で練習している野球少年の掛け声であったりと、稽古中は全く聞こえなかった音が、遠くから全身に染み渡るように聴こえてきた。身体的な疲労の影響もあり、頭も心も澄んで無心の心地がした。同じ状況の同志達がすぐ近くに並び、一斉に静寂を共有するという作用も大きいのだろう。共鳴するような、静かな、永遠のような、一瞬の時間であった。


私がとても嫌いであった中学の剣道部の顧問は、その大切な黙想の時間を蔑ろにしていた。部長が「瞑想!」(我が中学の剣道部では「黙想」ではなく「瞑想」と掛け声をかける習わしだった)と声を掛けた瞬間、1秒ぐらいでその顧問は手を叩いた。もちろん朝練ではその後の授業があるので、少しの時間も惜しいという理由もあるのだろうが、放課後の練習でも同じく1秒ぐらいで終わらせていたので、あの顧問は剣道における「黙想」の大事さ、大切さを軽視していたのではないだろうか。そのくせ稽古が終わって正座して「瞑想」の所作が始まる前に、日常での心がけやよく分からない講釈などをダラダラと垂れる事があった。

あの顧問は試合で「勝つ」という事に強い拘りがあった。対外試合で負けた時に、バスで帰るような遠い距離なのに、罰として徒歩で帰されることがよくあった。顧問との一対一の稽古では、腕力に任せて(身長180㎝ぐらいで怪力であった、剣道の技術は無い。)で生徒を転ばせたり投げ飛ばしたりしては、顧問が満足するまで終わることのなくずっと続く謎の鬼稽古(剣道というより柔道に近かった)があった。私には、あの稽古が試合の中で活きたり、その後の人生の糧になるような事は全くない。全然役立たってはいない。ただ憎しみだけは強く残したので、反面教師としては役立っているのかもしれないが・・。

小学生の時に通っていた剣友会の師匠は70代ぐらいで、市で一番の有段者(七段)であった。「試合で勝て」などは一度も言われたことがない。「礼」に関することや、稽古での姿勢に対することだけが厳しかった。一対一での稽古でも、子供相手でも一本が決まれば認めて、間を置くという、対等の勝負をしてくれた。

その70代の師匠が黙想の前に何かを述べた記憶は無い。そのような時間は初めから設けていなかった。ただ黙って黙想の一連の所作を厳かにした。一言も言葉は発しないのだが、ゆったりとした所作や表情から、黙想(剣道)に対する意識、想いの強さが感じられた。稽古場、弟子、すべてを代表して司っている雰囲気が、佇まいや存在から滲み出ていた。

今想えば、あの師匠に出会ったからこそ、私の剣道に対する思い出として「黙想」の記憶が一番強く残っているのだろう。勝手な解釈ではあるが、あの師匠が大切にしていたこと、教えたかったこととは、それなのではないかと思っている。

辞めてからは剣道からは遠く離れてしまったのだが、全ての物事に通用する教示として、今でも私を導いてくれている気がする。


そして忘れてはならない重要なことは、黙想を蔑ろにしたあの憎き鬼顧問がいてくれたからこそ、その想いが強く感じられていることだ。


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