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生きててよかった、と思えること。

みなさん、こんばんは。
ちばこです。

たくさんのお誕生日のお祝いメッセージ、ありがとうございました!
いつもお世話になっている方も、久しぶりの方も、思い出してメッセージをくださって、なんだか心が温かくなりました。
年を重ねるごとに、自分は社会の役に立てているのかな?受けてきた分の恩返しがでいているのかな?強くなれてるのかな?とふと不安になることがあります。
そんな中、素敵だなと思っている方が動画の中で「◯才の才は才能の才」とお話しされているのを拝見いたしました。今までたくさんの方に出会ってきた分だけ、教えていただいた分だけ、経験してきた分だけ、自分の中にたくさんのものが積み重なり、才能の芽として眠っているんだなぁと少し心強い気持ちになり、また、しっかりと才能の花を咲かせていけるようにチャレンジもしていきたいな、と感じるようになりました。

そんなことを考えていたらふとある方の言葉が頭に浮かびました。
長年介護の仕事をしてきた中でも、強く心に残っている言葉の一つ。
90代の男性の一言です。

出会った頃には無口な男性でした。
利用時間も短く、夕方になると「おう、(迎えは)まだか」の繰り返し。
利用時間が長くなると待ちきれすに椅子を蹴っ飛ばす。
出かける時には無言で腕を伸ばして、奥様に上着を着させるように指示する。
そんな亭主関白な方でした。

関わりの中で、少しずつ趣味のお話をしてくださるようになりました。
スカイツリーの建設を写真を撮りながら見守り続けたこと。
昔は祇園でブイブイ言わせていたこと。
お茶の先生をしていたこと。
表千家と裏千家について話しながらお抹茶を立ててくれました。
奥様の知らなかった秘密のお話も。

江戸っ子のべらんめえな口調で、
たくさん話してくださるけれど、ちょっと気難しいところもあって。
奥様にはいつも強気で。
普段はちょっと難しい顔。だけれど、世代間交流で子ども達が遊びに来ると顔を綻ばせて喜んでいらっしゃいました。

ある時、小学校で交流授業に参加させてもらい、ご利用者様が車椅子に乗り小学生に車椅子を押してもらう、そんな体験交流を行いました。
ご利用者様はみんな優しく子ども達に乗り心地を告げ、一緒に「次世代の子ども達を育てる」そんな体験であったと感じます。

その交流後に感想を伺うと、ほろりと涙を浮かべながら「生きててよかった!!」と一言。

「生きててよかった」
この一言で胸がいっぱいになりました。

私たちがしてきたことはささやかだったかもしれない。
でも、この方にとっては子ども達との充実した関わりの時間が、生きていてよかったな、と思える瞬間だったんだ。やってよかったなあ、と。

介護の仕事をしていて、本当に欲しかった言葉は
ありがとう、よりも「生きててよかった」この一言かもしれない、と。
年を重ねても、日常生活に介助が必要になっても、
今この瞬間を「生きててよかった」そう思えるって素敵だなあと。

それは、美味しいものを食べた瞬間かもしれないし、
家族との団欒の時間かもしれない。
子ども達の笑顔を見たときかもしれないし、
何かをやりきったときかもしれない。
ただ、目の前の人が真摯に向き合って話してくれたときかもしれない。

これは決してご高齢者だけではなくて、
共に働くスタッフも、一緒に過ごす家族も、出会った友人も、私自身も。
せっかく出会ったんだから、せっかく生きてるんだから、
「生きててよかった」って思える人生を送りたい。
私は欲張りだから、自分だけじゃなく出会った人たちも笑っていて欲しい。

みなさんは、生きててよかったと思える瞬間はどんな時ですか?
私は、美味しいものを美味しいねって分かち合えた時かな😌
簡単だけど、一生続けていきたいな。

難しいことじゃないはずなのに、ついつい難しくしてしまう。
出会った目の前の人と、対話して、関わって、一緒に人生楽しんでいく。
そんなシンプルを大切にしよう。

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