見出し画像

おばあちゃんと認知症

おばあちゃんは晩年、認知症を患っていた。
大好きなおばあちゃんは、わたしの名前がわからない。
 
『ただいま~』というと
『あら、お客さん来たぞ!』という。
せつないが、愛おしい。

『認知症』というと、多くの方はなんだか複雑そうな顔をする。

「大変だね」
「困ったもんだね」
少し眉毛をハの字にして、なんだか憐れんだような顔で。
 
確かに、認知症はその人の当たり前の生活を変えていくし、
家族の介護負担感が重くなる原因として、あげられる。
 
でも、
認知症=可哀想
では、決してないんだよ。と、言いたい。
 
認知症は、1つの病気ではない。
なんらかの原因によっておこる脳機能の障害、症候群だ。
 
脳のどこがダメージをうけているか、
どのくらいダメージをうけているか、
人それぞれ起こってくる症状は違うのだ。
 
加えて、特別なケースを除き、
もともと持っている性格や昔からの生活スタイルが大きく影響する。
昔の記憶は、比較的保たれることが多いし、
『好き(快)』『嫌い(不快)』の感情は、最後まで残ることが多い。 
 
例えば、うちのおばあちゃんは
孫の名前を忘れてしまっても、孫が愛おしいことは覚えている。
 
孫にお小遣いをあげなきゃ、という気持ちも残っていて、
『東京にかえるねー!』というと、寂しそうに
でも、そわそわと引き出しを開けて
『100円か?200円か?』と二千円のお小遣いをくれる。
 
孫の名前を忘れてしまっても、
ぎゅっと抱き締めると『あったけぇなぁ』と抱き締め返してくれる。
 
ある日、突然柿の木に登ったこともある。
90歳を過ぎてからの、偉業である(笑)
 
危ないんじゃないか。
そんなこともわからなくなったの。
目が離せなくて大変ね。
 
まわりはそんな風に言っていたけど、
家族は笑っていた。
 
『おばあちゃん、みんなに干し柿食べさせたかったんだね』
 
そう。
昔から、何十年と、祖母は干し柿をつくり、
家族に、親戚に、近所の方々に、ヘルパーさんに、『あがらい(食べなさい)』と自分が作った干し柿を配るのが楽しみな人だった。

いつも「誰かに食べさせるんだ」と『ごちそう』を作る人だった。
 
記憶を失うかもしれない。
出来ないことも増えるかもしれない。
 
だけど、その人がその人である
変わらないものが確かにあるはずだから。
 
近すぎると、イライラすることもあるかもしれない。
忙しすぎると、大事なことが見えなくなることもあるかもしれない。
 
でも、ちょっと一息ついたときに、
思い出して。
その人の魅力に気づけたら、
その人の人生を思って付き合えたら、
なんだか楽しいよね。ってそう思う。

晩年、認知症を患ってからの祖母も
変わらずに人思いで、
優しくて、かわいくて、
時にかんしゃくを起こして、
オチャメで愛嬌のあるわたしの大好きなおばあちゃんでした。


※文章をわかりやすくお伝えしたいので、細かいことを言えば表現が適切ではないと感じる方もいるかもしれません。ご了承くださいませ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?