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牛の歩みに寄り添って

はじめまして、今回、牛ラボマガジンを担当させていただく、三木柚香と申します。
柚子の香りと書いて、「ゆうこ」と読みます。

私はこれまで、人と自然と社会のかかわりのなかで紡がれている「ひとりひとりのいのちのあり様」に関心を持ち続けてきました。牛ラボマガジンを通じて、出会った人々との出来事や、その中で考えてきたことをお伝えしながら、人と自然と社会について、みなさんとともに考え深めていけたらと思っています。

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歩くこと、東京駅とベトナム

さて、今回は「歩く」ということについて考えてみたいと思います。

千葉ウシノヒロバでは牛が暮らしており、その牛に関する言葉に「牛歩」という言葉があります。みなさんは「歩く」と聞いて、どのようなことをイメージするでしょうか。

わたしは東京都内で生活をしているなかで、新宿や池袋といったハブターミナルを利用することがあります。世界最高レベルともいわれる人口密度を誇る都内において、大きなハブターミナル駅を歩くと、人の多さだけでなく、人の歩く速さにいつも驚かされます。まるでなにかと戦っているかのような、まるでなにかに急かされているような、そんな気すらします。

もしかしたら、そんなに早く歩いているつもりではないかもしれませんが、たくさんのことに注意を払いながら、なんだか忙しなく歩いているように見えてしまうのです。

ところが、ベトナムという国では同じ「歩く」ということについて、少し違った感覚を抱いたことがあります。
以前に足を運んだベトナムのとある田舎町で、水牛の背中に乗った男性が水牛の群れを率いている様子を見かけました。誰も急ぐ様子もなく、それぞれのペースでありながら、なんとなくはぐれることもなく、渡る川の深さや流れをゆっくりと確認しながら進んでいます。それはあまりにもゆったりと、でもどこか豪快さもあって、実に美しく見えました。

川を渡り終えると、男性は最後尾の牛を待って、その隣をゆっくりと歩きます。牛の歩みに人が合わせている。そんな風に見えました。
そういう歩み方があっていいんだなぁ、私もそうありたいなぁと思ったことを鮮明に覚えています。

どこで、誰と歩くか

相手のペースに合わせるというのは、実は意外と難しいことのようにも思います。
水牛の背中に乗った男性はどのようなことを考えながら牛の歩みに寄り添っていたのでしょうか。直接尋ねることはできませんでしたが、何かを考えているかもしれないし、何も考えていないかもしれない。でも、確かに人と牛が同じスピードで歩いている。そのことが醸し出す穏やかな風景に心を打たれました。

夕暮れの空の色、大きな身体でゆったりと歩く水牛、背中に乗った男性、牛の歩みに合わせて揺れる水面。あまりの美しさにしばし時間を忘れ、その風景を見つめていました。
都内の忙しないハブターミナルでは、ついつい周りの人と同じように急ぎ足になってしまいますが、「どこで、誰と歩くか」によって、ずいぶんと自分のあり方が変わるように思います。

東京のハブターミナルという場の持つ空気は、わたしをたくさんのことに注意を払わせながら、人にぶつからないように、ぶつかられないように、道を間違えないように、さまざまなことに気を張らせることを無意識のうちに強制します。そのとき、ハブターミナルの空気と私のあいだには、緊張感のある関係性が生まれます。

一方、牛の隣を歩くときはどうでしょう。
たしかに、鼻息や鼻水が飛んでこないかとか、牛に足を踏まれないかとか、突然牛が怒って攻撃してきたりかとか、気にするかもしれません(実際わたしは留学先の庭にいた大量のアメリカンバッファローの群れに潜り込んでいるときにこう思っていました。笑)。
しかし同時に、牛の歩みに合わせて自分の足を進めることに、どこか安心感を持てるような気がしないでしょうか。ハブターミナルでの気の張り方とは、同じ気の張り方でもまったく違う回路が動いている気がします。

互いのスピードをじんわりと確認しあいながら、歩く。そこには言葉にならないような、むしろ言葉を必要としないような関係性があるように思います。わたしたちは互いのあいだを紡ぎ合うようにかかわりを持ち、そして共に安心して「歩く」ことができる。とても温かくて嬉しい気持ちになります。

もしかしたら日常生活のなかではそんなことを考える時間もないほどに忙しなく、目的地に向かって無駄のないように、懸命に歩いてしまっているのかもしれません。そういう瞬間ももちろん必要だと思います。
けれども、周りを見渡しながら、そのときの空気の流れや太陽の傾きに、相手の呼吸に合わせながら、目と心を奪われるような瞬間を味わうことも大切だとわたしは思うのです。

牛たちだけでなく、わたしたちを取り囲むさまざまな出来事、環境、物質、生き物たちは、わたしたちにさまざまな彩りや関係をもたらしています。

わたしたちは一体何に目と心を配って、かかわりを紡ぎながら、歩いているのか。このことを注意深く観察していく必要があるように思います。牛の歩みは、わたしたちに「ゆっくりどうぞ」と言ってくれているように感じます。

私たちは歩いてどこへ行くのか

同じ「歩くこと」でも、ハブターミナル(人間)が促している行き先と、ベトナムの田舎町(水牛)が導いている行き先は少し違う気がします。またその「歩き方」も違う気がします。

このように、周りの環境が、自分の行き先や「歩き方」にも影響を与えるのだと思います。
せっかく自分の足で、自分をとりまくものとの関係を感じながら歩くのなら、少しゆっくり、安心して歩きたいとわたしは思います。そういう歩みはきっと、明確な行き先が見えていなくても、道のりを温かく照らしながら、あの日のベトナムのような穏やかな時間を与えてくれるようにも思うのです。

久しぶりに、ベトナムを思い出しながら、牛の歩みに自分の歩幅を合わせて、ゆっくり考えてみたいと思う今日この頃です。

ただぼんやりと、ゆっくりと。歩くことそのものを楽しむ時間を持つことは普段の生活のなかでは難しいかもしれません。ですが、そういう時間を味わえる場所のひとつに、ウシノヒロバがなれたらいいなと思っています。そして、その感覚を忘れずに、家に帰ったあとの日常を過ごして欲しいなと思っています。

ぜひウシノヒロバの牛に会いに来てください。ウシノヒロバで育てている牛は、農家さんからお借りして代わりに育てている牛です。触れあったり、遊んだりすることはできません。でも、少し離れたところから牛の暮らしを見るだけでも、きっと「歩くこと」のヒントをくれるはずです。
ゆったりと、草をはみながら過ごしている牛たちの姿を見ながら、今の自分の歩幅や速さ、隣を歩いている人のこと、自分が今立っている場所のこと、ほかにもいろんなことを考えてみませんか?

ちなみにわたしは、丑年です。そのせいか、人よりも少しのんびり歩きがちですが、ウシノヒロバの牛を見ていると、それも悪いことじゃないなと思っています。

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(執筆:三木柚香、編集:山本文弥)