ラブホの正社員8日目
ベッド上に何があっても、僕らはそれを片付けなければならない。何があってもだ。これはラブホ清掃員の宿命で、この宿命のために新人の多くはこの道を諦める。そんなに甘い世界ではないのだ。僕のTwitterのDMには、この世界に憧れる人が日に1人は現れる。その多くはラブホ清掃のことを性愛や恋愛に関する仕事だと言っていたが全然違う。ラブホは清掃や汚物の片付け方に関する仕事である。これを勘違いしたであろう人が排泄物や吐瀉物と対面すると、次の日には大抵現れない。性愛に興味があっても性が生み出した産物のことは愛せないようだ。汚物デビュー初日で消えた人間が多すぎて、初見の汚物のことを「ラブホの登竜門」と呼んでいる。前述したが、大半は登竜門を越えることなくやめていく。おかげでくるもの拒まず去るもの追わずの精神が身についた。僕が入社してから2ヶ月ほど経つが僕の後に入社した人間は1人もその登竜門をくぐることなく散っていった。蛇足だが、僕は水商売をしていた頃に酔った客が粗相した後のバーカウンターやトイレを何度も清掃していたので登竜門は難なく突破した。さて、今日はベッドの上に放置された排泄や吐瀉物より衝撃的なものの話だ。
ところで、みなさんは「オノマトペ」というものをご存知だろうか。音や声、動きなどを音で表した言葉のことである。僕はプリンを皿に着地させる事のオノマトペをプッチンと表現している。そのプッチンプリンがベッドの上にプッチンされていた。しかも枕元にふたつ、ベッドに直プッチンである。そびえ立つ富士山と宝永山の如く、異様なまでの存在感を放ち、それでいて少し怯えるようにプルプルと震えていた。見知らぬ部屋に捨てられたんだ、当たり前だろう。僕も幼少の頃、近所のスーパーに置き去りにされた時は戦慄のあまり震えて泣き崩れた。だからプッチンプリンの気持ちは痛いほどよくわかる。
だが僕らはプッチンプリンを処分しなくてはならない。それがラブホの清掃員に課せられた業務だからである。恨むなよ。ベテランのおばちゃんと目を合わせ、ゴム手袋とビニール袋を取りに行こうと後ろを向いた時にそれは起きた。バイトのベトナム人がプリンを食べている。見間違いだろうと目を凝らしたが顔を近づけてるんじゃない、口をとがらせて先っぽを食べている。僕もおばちゃんも唖然である。
確かに彼は給料日前でご飯を食べるお金がないと言っていたが、たとえいくら空腹でもベッドに着地していない部分でも、本当に食べると思わないじゃないか。だが不可解でも世の中は見たものだけが真実である。彼は確かにプリンを食べていた。しかも美味しいとか言って笑っている。空腹で狂ってしまったのだろうか。三大欲求は人を狂わせるとよく言うが、フィクションでないそれは眼前で起きていた。シーツに面したスレスレのところまでプリンを吸い、彼は満足したようにプリンだったものから口を離した。その姿は渋谷の夏の日、道ゆく人がタピオカのストローから口を離す仕草によく似ていた。僕はそれを美しいとさえ思った。
その部屋の清掃の後、僕は彼に何故プリンを吸ったのかと尋ねた。単純にお金がないのなら飯ぐらい買ってあげようと思っての質問だったのだが、カタコトの日本語で紡がれる彼の回答は斜め上だった。
「プリンは美味しいから。」
僕は驚きのあまり卒倒した。プッチンプリンはゼリーだと教えてあげたら彼も卒倒していた。今でも僕らは仲良しだ。
甘いもの食べさせてもらってます!