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リヴェット特集「メリー・ゴー・ラウンド」「北の橋」@早稲田松竹

ジャック・リヴェット監督作「メリー・ゴー・ラウンドMerry-Go-Round」「北の橋」1981@早稲田松竹

http://wasedashochiku.co.jp/archives/schedule/22921

もう終わってしまったリヴェット特集@早稲田松竹ですが。。

いつまでも、ひたっていたいリヴェット世界の、以下、感想メモです:

ピアソラのバンドネオンが印象深い「北の橋」は、リヴェト作品の中でもとくに人気が高い記念碑的一作で、それに、ミステリー仕立ての「メリー・ゴー・ラウンド」をあわせた上映回に、もぐりこむことができました。

「北の橋」1981
リヴェット作品でももっとも人気の高いであろう一作。早逝したパスカル・オジエと母のビュル・オジエの共演が奇跡的です。

人物たちがひたすら、ていねいに、都市空間を縦横無尽に「歩く」ことにより、視線や空気感をとりこみ、そのまま映画空間を醸成していく。たとえば「パリでかくれんぼ」とか 「恋ごころ」につづく、かたひじはらない「ウォーキングシティ」の魅力が存分に発揮されています。

映画と小説とか、映画とテレビドラマ、演劇との違いとしたら、ひたすら「歩く」ことが、物語として成立しうるかいなか、というところでいえば、やっぱり「歩き」はもっとも映画と親和性がたかい気がします。

セリフの一字一句や、背後のわかりやすい論理、条理をつきぬけて、人物がひたすら「歩く」ことにより、ナラティブを成立させ、物語的ダイナミズムを永遠化させてしまうところが、映画空間独特である気もします。

都市空間を「歩く」とはなにか。リヴェットがめざす映画的ナラティブの地平は、そのつよさともろさを明かしてくれる気がします。

そんな、都市空間の移動と、映画的ナラティブのつよさともろさを教えてくれるのがこの2作品ですが、それが成功しているのが「北の橋」、かたや、監督自身が俳優たちや、もしくはえいがそのものと「歩く」ことができず、混乱をきたして何がなにやらわからなくなったのが「メリー・ゴー・ラウンド」なのかな、と、勝手におもっています。

「メリー・ゴー・ラウンド」1981
初見でしたが。(少なくとも)フランスにおける製作年と公開年が入り乱れていたり(*)、また、有名俳優(マリア・シュナイダー)と、共演俳優、そして監督自身との確執がつたえられていたり、リヴェットが、他の作品でそうれあったように、慣れ親しんだヌーヴェルヴァーグ系の俳優たちと、仲良く、息をあわせて、作品作りをおこなったようには、「メリー・ゴー・ラウンド」を「歩く」ことができなかったんだろうな、、と想像させられる、空気感がただよいます。そういう意味では、あまり幸福な作品ではないきもしますが、エニグマティックな作風があとをひく不思議な魅力をたたえた作品であるのも事実で、けっこう気になっています。


https://www.cnc.fr/professionnels/visas-et-classification/44281


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