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緊急事態宣言で考えた「水道光熱費問題」と分断のこと

『知っている/分かっているけれどピンとこない・ただしあるラインを超えたらその前の自分には戻れないこと』を「水道光熱費問題」と呼んでいる。
私が勝手に呼んでいるだけなので、何かの専門用語とかではない。

実家で親に「水道出しっぱなしにしないで」「電気つけっぱなしにしないで」と言われる。もちろん水道代や電気代がもったいないことは知っている。地球環境に悪いことも知っているし、マメに消せば節約になる計算も理解している。
だけど日々本気でそのことについて考えて行動しているかというと、そんなに考えていない。たぶん節水や節電に日常的にマインドシェアを割くことはない。いや、頭では分かってるよ?だからいちいち言われると、知ってるようるさいなぁってなる。

一方、一度でも一人暮らしして「え、電気代って5000円も取られるの!?」って経験をしたことある人にとっては切実である。
数分の出しっぱなしは数円かもしれない、でもそのチリツモで5000円が自分の口座から引き落とされることを経験したことがある。

両者には「知っている」の間に大きな差がある。

ポイントは、知ってしまった側は一度こっち側に来てしまうと、知らなかった頃の思考には完全には戻れないということ。
たぶん文章にすると、両者の知っていることの事実に差はない。「節水、節電しないと水道光熱費が余計にかかる」。だから、言葉で伝えても両者の差は埋まらない。

20代後半くらいまでは、仕事においてこの分断を実感で感じることはあまりなかった。小さい気付きのアハ体験はあれど、たぶん大括りで「若手現場社員」という箱の中の認知で生きていれば良かったからなのだと思う。

具体的に意識するようになったのは30前後でチームを持ってから。決裁をする側になった途端、あれ?と思うことが増えた。
最初は単純に、相手が知らないからだろうと思った。そして何度か「水道や電気はマメに消さないとダメだよ」と伝えた。相手も理解して、分かりました!と言っていた。でも、なかなか足並みが揃わない。
そのうち「何度同じことを言えば…!」となり、「何度も同じこと言われてウザい」って感じになっていく。これが水道光熱費問題。

全員が「知っている」必要はないのかもしれない。

水道光熱費の例えが的を射ているか微妙なのでもう一つ具体例を。

スタッフに案件発注する時は、最初の連絡で必ず予算とスケジュールを伝えるように、と教わってきた。知っていたし、そうしないと失礼(=マナー)だと分かっていた。でもたまに慌てていると忘れたりしてしまっていた。

フリーランスになって初めて分かったのだが、やっぱり最初の連絡で予算とスケジュールを知りたいし、それがないと返事のしようがない
会社員の時は、自分以外にもメンバーがいるから少しくらい条件が曖昧でも、まあ誰かと分担すればどうにかなるかと思って、どんぶり勘定で請け負うことができた。でも1人になると、その時期に自分の体が空いてなかったら詰むし、予算が決まっていないとその時期にその仕事していて餓死しないか!?が隣り合わせになる。私の場合は、だけど。

なので、別に案件を値踏みしたいわけでも、マナーでも何でもなく、初期情報として知りたかったということを、この期に及んで初めて分かった。こっち側に来た。

この溝の原因は、知っている側が偉くて知らない側の勉強不足なのかというと、私は一概にはそうは言えないと思っている

家賃にコミコミだったら水道光熱費の存在を知らなくても生きていける世の中だ。会社員だったらフリーランスの仕事のやりくりに共感する必要もない。

だからいろいろなことをマナーとかルールとかそういう仕組みや様式にして、「知っている」の深度が違う者同士でも摩擦が少ないようにしていく。世の中の法律もこういう事情で生まれたものがたくさんあるのかも。

様式でしばると分断は広がる

しかし元の論点を忘れてルールや様式がひとり歩きすると、曲解されたり話が必要以上に複雑になったりする。単に電気代を節約したいだけなのに「何時から何時までは何分間までならつけていいんですか?」みたいな、些末なディテールに囚われていくことがある。根っこを把握しないで様式だけを見ていると損をすることもある。エアコンは付けっぱなしのほうが実は電気代は安いからこまめに消さないほうがいいらしい、とか。

そして根っこを知っている人と様式を守ろうとしている人の間に、いつの間にか違う理屈が出来上がっていって両者の分断が広がっていく

「新しい生活様式」もこういう現象が起きているんじゃないかなぁと思ってこのnoteを書いている。

日本人全員が(あるいは世界中が)、医師や研究者と同じ「知っている」の深度になることは不可能だけど、ずっと言われているメッセージ(密を避けるとか手洗いうがいするとか)は一貫してシンプルだと感じている。

ここで一曲どうぞ。

同じ立場じゃなきゃ分かってあげられないこと
神様ひとりぼっち だから救える


これだけテクノロジーが進んだご時世、経験しないと理解し合えないなんて人類の進歩遅くない?と何度も思う。
攻殻機動隊みたいに経験や記憶を外部化してシェアできるようになればいいのに。

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