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満足したら、一回死んだ

子育てが、ひと段落した。そう感じた。

長女の行きたい大学が決まり、「あ、受かるんだろうな」「この選択、間違いないんだろうな」と確信もあり。
好きなことをして、これからも生きていくんだろう。

次女の高校入学も決まり、ここもまた、次女らしさを全く殺すことなく、むしろこの尖り具合を奨励して、伸ばしてくれそうな高校だったので、ほっとしてしまった。


経済的に安定したことも大きい。

仕事も順調だ。

昨日、初めて「エゴサーチ」というものをしてみたのだけど、

喫茶店を開いてから7年間の活動を、本当にたくさんの人が、記事にしてくれたり、映像にしてくれたり、記録してくれていて、

「あー」

と思った。

なんだかんだ、ぼーっとしているようで、色々やってきたんじゃん。


人間関係についてはそもそも最初からそれほど熱心ではないけれど、
私の生き方を変えようとするような人はもう近くには一人もいないし
好きな人たちだけが周りにいてくれるから、満足している。

恋愛についても、なんだか一回落ち着いてしまった。



となったら、元気がなくなった。

すっかり元気がなくなって、何事にもやる気が起きなくて。

遊ぶことしかしていなかった。ここ数ヶ月。

遊んでいた、という意味では、元気だったけど、
やる気というか、覇気というか。

そういったものは、どんどん静かになっていった。


一瞬、「鬱か?」と焦ったけど

いろんな人に相談しているうちに、違うな、と思った。



●   単純に、冬になって、生命活動が活発じゃなくなってきた。

そして、前述した通り、

●   これまで頑張ってきたこと(子育てや仕事)が一つのゴールを迎えたような気がして、満足してしまった。

●  頑張らなくても一旦大丈夫になって、暇になってしまった。


これらが原因で、一旦、
駆け抜けてきたこの7年の流れを止めて

「シーン」

としていたいんだな。

と感じたので、それに素直に従っている。



そんな数ヶ月を過ごしていたら。

今朝、むくっと、新しい胎動のようなものを感じた。

まだ、微かだ。
だけど確かに、「なんかが、いる。」

キーワードだけは、ぽこん、ぽつんと浮かんでくる。



これまで積み重ねてきたものと、バッサリ、さよならする、

のではなく。

これまで積み重ねてきたものが、見せてくれた、
自分にとっての大事な大事な宝物。

これを頼りにして、次の歩みが始まるんだろうと思う。


まずは、感謝を述べながら捨てるものを選択して、整理整頓する。

整理整頓しながらも、浮かんでくるキーワードを、しばらくはぽつぽつ書き留めながら、手を動かす。


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