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いつまでたっても道半ば 英日翻訳者 伊藤伸子さん 

伊藤伸子
 愛知県出身。秋田県在住。英日翻訳者。訳書『手のひら図鑑 ネコ』、『世界を変えた10人の女性科学者』(いずれも化学同人)、『周期表図鑑』(ニュートンプレス)、『もっと知りたい科学入門』(東京書籍)、『イギリス王立化学会の化学者が教えるワイン学入門』(共訳、エクスナレッジ)など。
 我が家の猫氏の横顔は高良健吾氏にそっくりです。今年(去年から)の目標は「悲愴」(ベートーベン)を弾けるようになること。
twitter:@ekasilicon1869

 はじめまして。英日翻訳者の伊藤伸子と申します。「翻訳とわたし」というお題をいただいてから、はてどうしたものかとしばらく考えておりました。なんとなく中途半端感が抜けないまま現在にいたっております……というのが、正直なところです。同年代の方々はあとに続く人たちのために活動をはじめていらっしゃいますが、わたしはいまだその、あとに続く人たちのなかにまぎれています。

出版翻訳に出会うまで
 そもそも出版翻訳という職業をはっきり意識するようになったのは30歳前後だったような記憶があります。学校を出て最初に就職した会社が化粧品会社でした。たまたま配属された部署にいた先輩方が好奇心の塊のような人たちで、みなさん出自はほとんどが化学系だったのですが、身近なところで使われている技術やものの仕組みについて毎週一回勉強会をしていました。学校を出たてでいわゆるお勉強の範囲でしかものごとを見ることができていなかったわたしにとっては、まさに目から鱗でした。世の中のあんなこと、こんなことが、科学と結びついている! そこでようやく学問と実社会とが結びつき、科学と社会をつなぐ仕事がしたいと漠然と考えるようになりました。いまでこそ、サイエンスコミュニケーターという職がありますが、その頃のわたしには具体的な職業は思いつきませんでした。ブルーバックスや『科学朝日』はあくまでも専門に通じた人の手によるもので、出版方面はまだまだ縁遠い存在でした。そういえば、動機は忘れましたが、いまでいう副業もしていました。当時はまだインターネットのイの字もなく、どうやって探したのか、これもまたすっかり忘れてしまいましたが、シソーラス作成用の科学技術用語の和訳です。思えば、これが最初の翻訳仕事といえなくもないものの、まだ意識はそこまで到達していませんでした。
 しばらくして『精神と物資』(立花隆・利根川進、文藝春秋)という生命科学の現状を解き明かした、つくりも斬新な(と、わたしの目には映りました)本が出版されました。当時の最先端の生命科学が立花氏の筆でとてもわかりやすく書き下ろされていて、科学と社会をつなぐ媒体として少しずつ書籍の存在が目の端に入ってくるようになりました。その後、ひょんなことから進化論、生殖技術や優生学といった科学史や科学社会学のほんのさわりに触れるうちに科学の恩恵というよりも、科学と社会のあいだに横たわる負の側面に関心が向き、『人間の測りまちがい』(S・J・グールド、鈴木善次・森脇靖子訳、河出書房新社)や『ジェンダーと科学』(E・フォックスケラー、幾島幸子・川島慶子訳、工作舎)、『科学史から消された女性たち』(L・シービンガー、小川眞理子・藤岡伸子・家田貴子訳、工作舎)などなど(書ききれません)、世の中には、科学と社会をめぐる問題を専門家の手から一般の人につなぐ翻訳書籍が山のようにあることを知りました。ここら辺でようやく自分の関心事にからめた出版翻訳者という職業が目のまん中に入ってきました。

橋渡しをする仕事
 そんな折、学生時代の恩師からのお声がけで物理学者の自伝の翻訳を半分ほど担当させていただきました。物理学にはとんとご縁がなくひるんだものの担当部分は、オランダに生まれたユダヤ人としてアンネ・フランクのすぐ近くで潜伏生活をしながら第二次世界大戦の戦禍をくぐり抜け、その後、アメリカに渡った著者の前半生でした。初めての翻訳作業でしたが、ページを繰るたびに知らない世界が広がっていました(当然といえば当然なのですが……そのぐらい何も知らずに生きておりました)。ユダヤの歴史、戦前のヨーロッパの知識人、強制収容所、プリンストン高等研究所につどったきらびやかな物理学者の面々など、こんなご縁でもなければたぶん手に取ることはなかった内容でした。振り返ると、このときに、知らない世界を仲立ちするおもしろさに引きこまれたようです(ご関心の向きは、図書館などで是非お手にとってみてください。『物理学者たちの20世紀』A.・パイス、朝日新聞社)。ですが、たまたま助っ人としてかかわっただけの人間に、自動的に翻訳仕事が降ってくるわけもなく、その後は、翻訳とは関係のない仕事に就いていました。日々の生活に追われるうちに科学だの、社会だのはふっとびつつも頭のどこかに翻訳が引っかかっていたのだと思います。自然科学系雑誌の主催する添削講座を受講したり、これまた自然科学系の雑誌で翻訳協力の求人に応募してたまに仕事をいただいたりしていました。
 ややあって、一身上の都合というやつで勤め仕事をやめ、在宅での翻訳業に切り替えるべく、いまこそと翻訳エージェントに登録しました。あとはうまく……と軽く考えていた自分の甘かったこと。出版翻訳オーディションに挑戦してもしても落ちるばかりで、いっそ方向転換をしようかとハローワークに足を運びはじめたころ、リーディングの声を掛けていただいたり、ちょうどイギリスのDK社が日本で広く展開をはじめる時期とも重なったのでしょうか、知人からの紹介で同社の図鑑を何冊か翻訳したりする機会に恵まれました。図鑑については子ども向けの図版の多い本という程度の認識しかなかったのですが、こちらもまた知らないことのオンパレード。対象が小学生の理科や社会の説明なぞ、これまでの知識でなんとかなるでしょうと高をくくっていた自分のなんという浅はかさ。さらに、国が違えば図鑑の切り口も違っていて、動物、植物、人間、地球に宇宙と自然科学分野もさることながら、世界各国の宗教や文化、芸術、歴史、まさに知らない世界をつなぐ作業の一端に携わっていることを実感しました。

中途半端感といっしょに、もうしばらく
 現在は翻訳エージェントからの紹介を中心に、絵本から図鑑、読み物の翻訳(含む共訳、翻訳協力)、リーディングをこなしており順調に、とまとめたいところですが、実際は次の仕事があるかどうか、いつも不安にかられています。ちなみに昨年は赤字でした。また、単発で翻訳関連の講座を受けてきてはいますが翻訳学校には通っておらず、いろいろな意味でなんとなく遠回りをしているような気もしています。ここらへんに、中途半端感のゆえんがあるのかもしれません。私が、あとに続く人たちのお役に立てるとしたら、このようなあゆみが反面教師になることかとも思います。
 今回、自分の来し方を振り返る機会をいただき、多少の変遷はあったものの、「つなぐ」という、すっかり忘れていた原点を思い出しました。また、出発こそ科学と社会でしたが、いろいろな分野の翻訳に携わってきたことで、「あれっ、少し世界が違って見えるかも、と思える書籍の仲立ちをする作業に楽しさを覚えるようになっていた自分」にも気づきました。
 孤独で、ともすると頭をかきむしっている時間のほうが長く、実入りも多くは望めないにもかかわらず、なぜかやめられないまま細々とここまできました。この2年ほどははからずも、遠隔地にいながらオンラインで参加できる講座や講演会が増え、リアルでは存じ上げないご同業の方々からの刺激をばしばし受けています。毎度毎度、お尻をたたかれる思いで、願わくば20年若返りたくなります。が、そうはままならないのが人生というやつです。しかたない。ねんきん定期便がやけに現実味を帯びてきていますが、「あとに続く人」にまぎれながら、もうしばらくは横文字の列と格闘していけたらと願っています。

伊藤伸子
 愛知県出身。秋田県在住。英日翻訳者。訳書『手のひら図鑑 ネコ』、『世界を変えた10人の女性科学者』(いずれも化学同人)、『周期表図鑑』(ニュートンプレス)、『もっと知りたい科学入門』(東京書籍)、『イギリス王立化学会の化学者が教えるワイン学入門』(共訳、エクスナレッジ)など。
 我が家の猫氏の横顔は高良健吾氏にそっくりです。今年(去年から)の目標は「悲愴」(ベートーベン)を弾けるようになること。
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