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野菜の切り方なんて知るか!!

 とあるニュースサイトで、こんな記事を見た。
**何かのイベントで料理を作ることがあり大根を銀杏切りに切っていたら、『こんな切り方じゃないわよ!!』と別の方から指摘を受けた。ショックで心が折れそうになった。後日、別の機会にまた料理で大根を切るのだが、その日は別のお味噌汁を作っており、銀杏切りではなく短冊切りにしていたところ、別のグループでも短冊切りで大根を切っていた。ものすごく安堵した。**
 簡易的にまとめるとそんな内容だったのだが、私には過去、似たような経験があった。

 小学生の頃、夏のキャンプに参加した私はグループ別に夕食のカレーを作るため準備をしていた。役割分担を決め、それぞれが作業に取り掛かる中、一人の子が私の切った野菜に対して叫ぶように言い放った。
『人参もじゃがいももこんな切り方じゃないんだよ!!変なことするなよ!』
 みんなが一斉に私の方を見る。暴言を言い続けるグループの子。
その日カレーは無事にできたし、みんなしっかり食べてくれたのだけれど、食べた後にも『マジでお前のせいで最悪だよ!あんなの美味しいカレーじゃないよ。』と言われる始末。とても逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
もちろん小学生なので、野菜の切り方を決めようなどの会話は難しいし、カレーの材料の切り方が全ての家で違うなんて知っているわけはない。
 私はその当時(もしくは人にもよると思うが)、みんなと同じであることが一番の安心感であり、仲間との一体感への期待があったと思う。

 冒頭の内容に戻ろう。
この記事は最終的に安堵したところで終了していた。私は本当に安堵して終わったのか、それとも考えることがあったのか疑問に思った。
料理に関して言うと大人になった私は、時短のためにいつも野菜は大体同じ切り方をして冷凍保存。下準備をするタイミングであれば、たまに切り方を変えるぐらいかなり自由。あれから私は、あのキャンプがトラウマになったのか、「どうして私の好きなやり方をしちゃダメなのか」と半ギレすることが多くなり、仕事などの影響がないものはほとんど、楽になるように好きな方法で行動することが多くなった。反論する人がいれば理由を聞くのだけれど、納得のいくものでなければ基本スルーする。(大概、言った本人が得をするだけで、周りの利益にもならないからだ。)そして社会に出ても、未だに自分の考え方に固執して周りの意見を聞かず、コミュニティに参加している風な大人がいる。さらに、自分の意見などなく全てに同調していれば、すべてが丸く収まると未だに思っている大人もいる。
 正直、それが悪いとは言っていない。ただ、「その人生って、楽しいですか?充実していますか?」と問いたいだけだ。

 最近なかなか閉鎖的なこのご時世、だからこそ一歩踏み出すこと、みんなで助け合うこと、相手を思いやることが疎かになっているなと感じることが増えた。みんなと同じでもいいかもしれない、正解不正解をしっかり正すことも大事かもしれない。しかし、私達がそれを罰したり汚れているように接したり無視できるような偉い存在ではないと信じたい。
 みなさんは自分に正直ですか、行動できていますか、思いを伝えられていますか。

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