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未災地(みさいち)

 朝の情報番組で言っていた。「被災地ではない土地に住む人々が災害に出会した時、何も知らない状況だとどうなってしまうのか」と。毎年この時期になるとTVやネットニュースで震災の特集を見かけ、記事を一つ一つ観る度、自分の無知さと悲しさに押し潰されそうになる。

 私の出身は、生まれも育ちも沖縄だ。毎年夏場には巨大台風に恐れ、悩まされながら生活しているが、どちらかといえば災害の話などはあまり聞かない土地。しかし沖縄に関して地震の事を調べてみると、約千年に一回は巨大地震が起こっていて、大きな被害が出ているという。何か起こるかもしれない・・・と、どの土地でも考える必要があるという事だ。

 10年前の今日。当時私は空港で働いており、その日も仕事をしていた。ロビー内のあちこちから次第に聞こえてくるザワザワとした空気感。周りの様子がおかしい事に気づく。沖縄はその日地震がなかったが、施設内にいくつかTVが設置されており、緊急速報のアラーム音と普段流れていないはずの報道番組で津波警報発令の注意喚起をしているアナウンサーの姿があった。2007年8月に那覇空港で起こったチャイナエアラインの旅客機爆発事故、あの日と同じような緊張感と不安感、本当に画面に映っている映像は日本なのか・・・?という状況。驚き、呆然とし、泣き崩れるお客様の姿。飛ぶ予定だった飛行機全ての遅延が館内で伝えられ、戸惑う人々。私の職場には宮城県に親族のいる職員が二人おり、すぐに繋がるかはわからないが、とりあえず連絡が来るようにと、すぐ安否確認させた事を覚えている。「今から東北の家に帰るところだったんです・・・。」と不安そうに話していたお客様の姿もあり、本当にどうしたら良いかわからず何もできない自分に、もどかしい気持ちになった。

 その数年後、職場には緊急災害用に折り畳みのヘルメットや応急キットの備蓄見直しなどが行われたが、それでも準備された災害袋はたった1つ。労働人数分の備蓄はなく、正直愕然とした。人数に合わせて徐々に増やしたり整えたりすることがそれ以後もなかったのだ。もしかすると、それは地域柄なのか・・・とも考えた。今回、震災10年を迎え現在は職場も離れている今思うこと。

『自分の命や大切な人の命は、自分自身でしか守れない。そして、誰かを助けていくことも、自分自身の行動にかかっている。』ということだ。

 毎年3.11に合わせてYahooでは、募金サイトや避難の仕方をシミュレーションできるアプリなどを配信している。私もそのサイトを見つける度に、振り返り、心を改め、意識できるようにと活用している。そして、本日YouTubeではHIKAKINさんが災害に会った時のためにできることとして、子供達にもわかりやすい説明の動画を配信していた。

 自宅に災害バッグも何もなかったような環境で育ち、全く何も知らなかった私。色々な準備が求められる昨今、多くのことを想定し、家族のために期間を決めて備えていこう。みんなが今日も幸せで生活するために。

 日本の未災地では、今どれぐらいの人々が東日本大震災を想い、感じ、心を揺さぶられているのだろう。何かが起こるかもしれないこの土地で、私達ができること、守りたいこと、命を考えること。どの土地でも、思い合える日であってほしいと願う。

#それぞれの10年

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