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マジで×100くだらない私の中のプラーナの話 の続き

なんかふと、この前友人に
「朝起きられてるから普通に社会人できてるけど、
基本的には変わった人やで」と言われたことに最近すごく納得している。

昨日の記事からの続きを書きたくなった。
…というのも、お風呂に入っている時に考えついたのだけれど、
アシュタンガヨガ=エネルギーワーク=プラーナを取り込み・循環させる・作る、までが
自分の中で腑に落ちたんだけれども
そもそも、音楽ってプラーナじゃね??ということが出てきていて
そうなると、
アシュタンガヨガ=エネルギーワーク=プラーナを取り込み・循環させる・作る=音楽 じゃね??という式が自分の中で出来上がってきた。
ってなったら、アシュタンガヨガ=音楽 じゃね??

ということは、自分の内側と外側で起こっていることは
だいたいこんな感じということなのかな。

またしても著作権の都合上、手描き

プラーナはやっぱり菌であった(違う

プラーナ=生命エネルギーの循環があるからこそ
消耗も疲弊もせずに歌えるのではないだろうか、という仮定。
でも確かに、かつての私は色々なことで疲れ切っていた。
結局、この循環であるということを意識できるのであれば
疲弊もしないし、うまくエネルギーが回るのでは?
自分の中の式が繋がった感がちょっと気持ちいい。
真偽の程はしらないけど。

でも、今ちょっと疑問に思ってることがあって
ヨガやっている最中はプラーナが生成されているでいいんだけど
ヨガが終わった後、プラーナはどこに行くんだろう?
出ていっちゃうのかな。

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