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帰ってくるのを待ってる

連日、書きたい欲があるのは何故。
日頃、ノートは持ち歩いていて、それには色々殴り書いてるものの
PCでタイプするのはまた脳の使い方が違うのかもしれない。
すぐ変換できるので「あれ、漢字わかんないな」とかってなることもないしね。
それはそれで問題なので、やっぱり手書きは大事だなと思うけど。

書きたかったのは、何故音楽に気持ちが向きづらくなっているのかというところ。
割と最近、その理由がわかってしまって
その解決をどうしたらいいのかわからなくて止まっているのかもしれないのだけれども
それが「音楽はプラーナ(気)じゃね??」というところ。

楽器のことはよくわからないのだけれど、
歌に関して言えば、身体に密接しているのでそれを特に感じやすい。
管楽器の人も同じような感覚なのかな?
発声のテクニックetc.も色々あるし私も色々齧ってきてはいるけれど
とにもかくにも「プラーナがちゃんと流れているか、循環させられているか」が大事なような気がしてきている。
そのことに気がついたのはSNSで「アシュタンガヨガはエネルギーワークである」というどなたかの書き込みを見たから。
まだまだ未熟だけれど、プラーナの流れを意識してアーサナを取ろうとすると
自然とアライメントやドリシュティ(視点)も定まるし決めようと思うようになる。
そして、過去にアレクサンダー・テクニークで教わったように
「身体は頭が先に動いてそれについていく」
私はヨガは音楽と似たもの、同じようなものだと常々思っていて
ということは、この感覚で音楽をやればサマーディに近付くのでは??とかなんとか思っている。
本当はもっと実証実験ができたらいいのだけれど、
それに至るまでがなかなか腰が重い。
と、言うのもライブもセッションも夜が多くてさ…。
毎朝5時起きのヨガ族、もう9時には眠気に襲われてるんですよね…。
また、「今の私ではまだまだ…」という気持ちもあって
自分の思うようにまだ出来ないから、というところもあるけど
やりながらじゃないと進まないことも自分でわかってるんだよ…。

でも、余計なことを考えずプラーナを回すような音楽ができたらいいのになあ、とは常に考えている。
集客や人間関係etc.音楽以外の苦手なところで頭を悩ませながら歌うのはもう自分には向いていないと思う。
昔、歌は「いってらっしゃい!」「おかえりなさい!」って歌うんや、と言われたことがある。
でも今の私の場合は行ったっきりなかなか帰ってこないので
また送り出すことができない。
なので、帰ってくるのをひたすらに待っているのかも。

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