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【大学生との交流会の質問とその答え・キベラスラムとマゴソスクールに関してのQ&A】

【大学生との交流会の質問とその答え・キベラスラムとマゴソスクールに関してのQ&A】
先日、日本の大学生のサークルに依頼を受け、他の大学の学生にもオープンなオンライン講演会&ディスカッションを行いました。
そこでチャットにのぼってきた質問内容が、講演会終了後に送られてきました。
そこで、それに返事を書くのと同時に、こちらで共有します。興味ある人たちにとってご参考になれば幸いです。


●昔から世界はどうなっているかと幼いころから疑問を持たれていましたが、どのような外部要因が影響していたと思われますか。

答え
私は、幼い頃から好奇心が強く感受性が豊かな子供だった。特に戦争の話や、死の恐怖、悲しむ人や苦しむ人に対して必要以上に感応してしまうタイプだった。
両親が満州からの引揚者(父が7歳、母が4歳のときに終戦)で、終戦前後から難民生活を送り、命からがら引き揚げてくるまでの話を子供のころによく祖母から聞いて育った。それが原体験になっていると思う。
また、曾祖父は明治時代のアメリカ開拓移民、祖父はアメリカ生まれであり、私自身も日本人でありながら小学生・中学生のときにアメリカで育った。
その経験から、人間にとってアイデンティティとは何か、国家とは何か、ということに子供のころから非常に興味があったし、それが個人的な苦悩にもなった。
国家崩壊するような事態が起きたとき、それでもその人間を支えるものは何か、ということに常に興味があった。
祖父母はよく、「中国に足を向けて寝てはならない。中国の人たちが助けてくれたからこそ今私たちはこうして生きている」と話した。その一方で、「多くの人々が餓死したり凍死したり、殺されたり蹂躙されたりする中で、皆で助け合って何とか生き抜いてきた。しかし、すべてを失い、命からがらやっとたどり着いた祖国日本で、まさか、あれほど冷たくされるとは思ってもみなかった」と祖父が話した。
このような人生背景から、私は、人間はなぜ人を差別するのか、その差別意識とはどこから来るのか、人間は差別心を超えることはできるのか、差別を超えた先にある人間として普遍的なものは何か、人はなぜ生まれなぜ生きるのだろうか、何を目指して生きていくのがよいのか、自分は何を目指して生きたいのか、どのような人生を生きたいのか。ということを、子供のころからずっと考えていた。自分の中でその答えを見つけたいと思ったし、自分が納得する人生を、人間の間にある様々な線引きを超えて生きたいと願っていたため、世界を旅することになった。

・どんなつらい状況でも立ち上がれる彼らのスピリットはどこにあると思われますか?

答え
彼ら自身から聞いた話では、「仲間がいるから」「苦しいのは自分だけではない」「神様がいるから」「今日頑張れば必ず報われると思うから」
という話が聞かれます。私が個人的に思うのは、死がとても身近な暮らしであり、だからこそ余計に、命に対する感謝がある。そして、仲間がいる、神様を信じている、など、精神の根底に連帯感による救いがあると思う。ひとりぼっちではない暮らしが、人を強くするのだと思う。

・ケニアにおいてナイロビがあれだけ発展しいている一方、スラム街ができた原因は何でしょうか?

答え
ケニアはかつてイギリスに植民地支配を受け、その際に、肥沃な土地は奪われ、自由な行動は禁止され、税金制度を作られ、納税や労働を強要された。
その際に、税金徴収のシステムを作るために、それまで完全平等社会として成り立っていた社会構造を崩され、彼ら自身の中に植民地政府のために働く存在を作られた。その人が税金徴収を行った。
それまで共同体で生きていた人々には貧富の格差はなかったが、植民地支配とその運営を円滑に行うため、彼らの中に不平等な立場の人間を作られ、間接的な支配者層が作られた。
その構造のまま独立したため、独立時点ですでに貧富の格差があり、土地を失った農民も多かった。
キベラスラムに関しては、イギリス植民地政府が、イギリス軍として従軍させた南スーダンのヌビア人を現在のキベラスラムの場所に住まわせたのが始まり。
そこから、後々の時代に、植民地政府の都市計画が行われた際に、キベラスラムは黒人居住区に強制移住をさせられそうになったが、住民が徹底的に抵抗を行い、数多くの長屋を建設し、そこに貧困者を数多く呼び込み、人数を増やすことで簡単に移住させられないように抵抗したと聞いている。
ケニアに数多く存在するスラムの一つ一つにその発祥の背景が違うので、興味ある人は調べてみてください。

・ナイロビでの生活とご自身の子育てなどはどのように両立されましたか?

答え
私は33年間、ケニアで働き、自分自身で収入を作り出し、それによって生活できるように努力してきた。
なので、ケニアに住んでいる33年間、私はずっと働き続けてきた。
ケニアでは、働く女性たちを支えるお手伝いさんの存在があり、多くは、貧しい農村からの出稼ぎ者たちが、家事や、子供の世話などをしてくれる。私も、そのような女性たちと共に生活をしてきた。私が20年以上共に暮らした2名の女性たちは、ウガンダからの不法移住者・出稼ぎ者で、自分の子どもはウガンダの農村に残してあり、その子供たちの学費や生活費を稼ぐためにナイロビに出てきていた。その女性たちが住み込みで、一緒に生活しながら、人生を共にしながら、子育てや家事なども手伝ってくれるという形で、持ちつ持たれつで共に生きてきた。
その2名の女性たちは、最後に病気で亡くなるまで、私のもとで暮らし、医療費や田舎の家族の生活費なども支えた。お手伝いさんといっても、家族の一員であり、お互い支えあうという形の関係。
どのように両立したか、という質問だけど、両立したという考え方とはちょっと違う。働くことも、生きることも、家庭を運営することも、子供を育てることも、すべて同じところにあるので、両立できるとかできないの話ではなく、すべてが当たり前の人生の中にある。生きるためには誰もが働いているし、だれもが子育てをしているので、両立できるかできないかというような選択で悩んだことは一度もない。(そのような発想自体がない)


・早川さんが、20代前半という若さでアフリカに挑戦してからプロジェクトを立ち上げるまで、1番苦労した点は何ですか。

答え
プロジェクトを立ち上げようと思って立ち上げたのではなく、生活の中で自然に出来上がっていった。
生活の中で、困った人を助けるということはケニアでは日常的にある。例えば、子供が親を亡くすことも、誰かが病気になって困窮することも、医療費や学費がなくて困ることも、失業することも、ケニアの生活では当たり前にあること。それが日常であり、日常の中に、助け合いがある。
だから、私が活動を行うのは、学校を作って活動をはじめようとしてはじめたのではなく、毎日の生活の中で、病気の人の病院代を払ったり、親を亡くした子供を預かったり、食べ物がない人に食べるものを届けたりなど、日常的にそれは身近にあった。自分自身もそうやって、周りの人に助けられた。
だから、その延長線上に現在のマゴソスクールもある。

・マゴソスクールで今足りていないものは何だと思いますか。

答え
物品として足りていないものは、たくさんあり、むしろ、足りているものは何かと聞かれたら困るくらいに、何もかもが足りていない。
しかし、豊富な物品よりも大事なことが学校にはあり、それは、子供たちへの愛情や、やる気や、教育への情熱や、子供たちに勉強を教える意味や意志、それを共有できる仲間や、コミュニティ意識、向上力、倫理観や信念など。これがなければ、良い学校は成り立たない。だから、このような大切な精神さえあれば、足りていない物品は別になくても学校は成り立つ。
しかし、やはり必要な物品や必要な食糧などを調達するための資金があれば、もっと充実させていくことが出来る。


・マゴソスクールで見たものから、日本の学生に伝えたいことはありますか?

答え
何があってもへこたれない、あきらめない、努力し続ける姿勢。
命がいかに貴重かということを知る。
人間は一人では生きてはいけない、助け合って支えあってこそより良く生きられる。それを知ってほしい。
無駄な人生など一つもなく、人間の優劣は経済力ではかれるものではない。
いたわりの心を持ち、相手の立場にたって物事を見て理解できるように自分の人間性を磨くこと。
人生は一生勉強。努力し続けて高みを目指すこと。そして、傲慢な人間にならないこと。


・日本の支援は、途上国との間にどうしても上下関係を生み出してしまうように思います。上下関係に基づく支援には、どの様な危険があると思いますか?

答え
知らず知らずのうちに傲慢になってしまうこと。


・また、上下関係を生まない、本当の支援を行うために日本人はどのようなことをするべきだと思いますか?

答え
自分とは違う文化を持つ人間を理解し、リスペクトできるようになることが大事。
この世界には様々な違う文化、違う考え方、違う社会構造があり、それをまずは学ぶ姿勢が重要。
相手に対してリスペクトを持ち、思いやりを持って、相手の立場に自分を置き換えて物事を考えられるようになるといいと思う。
また、相手の意思を尊重して、自分のやりたいことを押し付けてはならない。

・マゴソスクールで将来一緒に活動をさせていただきたいと思うのですが、どのようなことを身につけていればお力添えをすることができますでしょうか。

答え
まずは、異文化を理解し、現地の人々と円滑にコミュニケーションを取ることが出来、自立した行動がとれなければならない。そもそもが、自分自身が精神的にも金銭的にも自立していることは非常に重要。
マゴソスクールの場合はスラムの中にあるので、自分の身の安全を自力で守ることが出来なければ活動はできない。
何も知らない外国人が、キベラスラムにはじめて来ていきなり活動することはマゴソスクールの場合は無理。まず最初は、自分自身がキベラスラムの人々から学ぶ姿勢で来て、ケニアの様々な社会的事情や歴史的背景、文化などを学び、知識を得て、言語能力を得て、自分自身の責任を自分で負うことが出来て、自分一人で安全に行動できるようにならなければ、キベラスラムでは何もできないし、かえって、現地の人たちの迷惑になってしまう。
マゴソスクールは通常は日本人のボランティアや訪問者は受け入れておらず、訪問したい人はスタディツアーに参加するという形で、学ぶ姿勢で来てもらう。その後、本気で何かやりたいと思う人は、やることを与えてもらうのではなく、自分が出来ること・やりたいことは何なのか、自分で考え、そのために何が必要かも自分で考え、その考えを相談してくれたら、それに対してアドバイスをすることは出来ます。自分のためにそれをやるのではなく、社会のため、子供たちのために役立つことでなければならない。
マゴソスクール以外に、様々な活動がアフリカにはあるし、ボランティアを受け入れている団体も多々あるので、まずはそういうところで様々な修行を積み、本当にキベラスラムで活動したいのか、なぜマゴソスクールなのかをよく考え、そこで自分が何ができるか・何がしたいかを相談してください。
マゴソスクールは基本的に、キベラスラムの困窮した人々に手助けを与え、その人たちが働いて賃金を得られる方法を作っているし、働いている人たちは全員がスラム住民、そして、マゴソスクールの卒業生が研修もかねて様々なボランティアを行っているため、現場での日本人ボランティアはよほどのことがない限り必要ありません。(マゴソスクールに役立つ専門的な技能や知識・経験がある人は別。)
そのようにマゴソスクールがどのように運営されているかというところまでよく知って理解した上で、それでも、自分の力が生かされる分野があると思うとしたら、その具体的な案を説明して、相談してください。


・ケニアに来ている外国の企業は、子供たちの働き口を増やすことに貢献していますか?

答え
まず、子供たちが労働することは間違っているので、子供たちの働き口を増やす必要はない。
子供たちに必要なのは、身の危険があるなら保護されること、大人に助けられて衣食住が得られること、教育の機会が得られること、家族的な愛が得られること。これをマゴソスクールでは子供たちに提供している。
働き口を増やす必要があるのは、成人した大人たちです。
外国の企業も様々な貢献をしていると思うが、それよりも大事なことは、ケニアの地場産業が育つことであり、外国企業が参入しなくてもケニア人の手で国の経済を盛り上げていくことが最も重要。
外国の企業の参入は、そのやり方によっては、ケニアのためにならないこともある。


・他のスラム街で、マゴソスクールのような学校は多くあるのでしょうか?

答え
たくさんありますが、無料の学校は多くはないでしょう。多くはスラムの住民が子供たちのために有料の学校を作ることです。


・貧困地域の子供達が求めていることはなんですか?(職業ですか?学校ですか?)

答え
この質問は、「子供たちが求めていること」と書いてありますので、上記の質問の答えと同じく、子供たちが労働することは間違っており、 子供たちに必要なのは、身の危険があるなら保護されること、大人に助けられて衣食住が得られること、教育の機会が得られること、家族的な愛が得られること。
これが子供たちの求めていること、必要としていることです。


・キベラスラムで活動しようと決意するまで・決意してからの葛藤はありましたか?(また、どのような葛藤がありましたか?)

答え
私の場合は、「決意して」スラムに入ったのではありません。そもそもが、スラムに興味があり、訪れていくうちに、たくさんの友達が出来て、その友達からスラムの生活事情を聴くことが興味深く、そうこうしている間に、実際にどれだけ生活が過酷かも知り、個人的に友達と持ちつ持たれつの関係で何かと手助けをしたりされたりしているうちに、様々な活動がはじまっていったという形です。
葛藤はありません。


・日本でも貧困世帯の子ども達は多くいますが、日本の貧困問題とケニアの貧困問題ではどのような違いがあると思われますか?

答え
ケニアにも日本にも、歴史的な背景があります。
歴史的背景に基づく、様々な複雑な社会事情があります。理解したければ、まずはそれをよく知る必要があるでしょう。
その歴史的な背景は国や地域によってまったく違うから、そもそもが、ひとくくりにして考えることは出来ません。
また、一言に、貧困問題といっても、そこには様々な事情背景の違いがありますから、それをひとくくりにして語ることは出来ません。
(現在貧困に接している人が、なぜ貧困状態に陥ったのかというところの理由、それは、ひとつのパターンではなく、とてもたくさんの事情背景がありますから、日本の貧困、ケニアの貧困と、ひとくくりにするとむしろ理解できないと思います。)
私は、日本各地の様々なコミュニティと交流し、その事情背景も学び、キベラスラムの人たちを日本の貧困地区にも案内し、説明や交流をしてきました。
その人たちの多くには、自分自身が接している差別の事情や、社会的に不利な立場である理由があり、だからこそ、ケニアの貧困者に対しても思いやりや理解を非常に多く示していました。なので、事情背景は違っても、そこに共感や理解は生まれ、友情も生まれ、共に助け合おうという動きも生まれ、現在も続いています。


・スラム街での最も大きな問題は何でしょうか?

答え
様々な問題が山積みなのがスラムですが、その根底にある大きな問題は、社会全体の、人権に対する意識やモラルの欠如ではないかと思います。
それがすべての根底にあると思います。スラムがスラムだけで成り立っているわけではなく、社会全体の中にスラムがあるわけで、様々な問題がスラム内で存在して解決されないのは、スラムをそのような状態で存在させ、放置し、彼らの人権を否定し、モラルのない搾取行動をとる人たちが世間にいるからだと思います。
なので、そもそもが、人類全体が意識改革を行い、公平なモラルある判断や行動ができるようにならなければ、スラム内部の問題は解決しないし、スラムは存在し続けるでしょう。

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