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差別や偏見を越えて、その先の未来へ。

私がアフリカと日本のミックスの子どもを産んで30年になる。
この30年で日本は変わったと言えば変わったが、本質的なところでは何も変わっていないとも言える。
変わったことと言えば、昔より日本には外国人が増えたし、外国に接する機会も増えた。国際的な家庭も、ミックスルーツの子どもたちも増えた。
子どもたちの教育現場でも、30年前とは比べ物にならないほど、外国人の先生に接する機会も増え、国際理解教育や異文化理解教育の機会も増えた。(ちなみに、私はそのような枠で日本全国でアフリカの話を講演させていただく機会が多い。)

しかし、日本社会全体では果たして、この30年で異文化や、違うルーツを持つ人々に対しての理解がより深まったかというと、そうでもない。中途半端な情報に触れることで、さらにむやみな偏見や先入観を生み、心ないバッシングも後を絶たない。

そんな私たちの国日本で育つ子どもたちの中には、疎外され傷つき、大人になってからあとも一生尾を引くようなトラウマに苦しめさせられる場合もあるし、出来るだけ自分を小さくして目立たないように気を使い、自己肯定感をズタズタにされてきた子どもたちもいる。

「自分は違う」「私は決してそんな偏見を持っていない」「私は差別していないから関係ない」と、本当に言えるだろうか?
この国の在り方は、私たち日本人がみんなで作りだしてきた現実であり、この社会で傷を負う子どもたちに対しての責任は、私たちこの国の大人全員が背負っていると私は思うのだ。

私と同世代で、やはりケニア人と結婚し子どもを育ててきた友人が、出産と子育てのために数年日本に帰り、ケニアに帰ってきたときに聞いた話が今でも忘れられない。(もう20年以上も前の話になる。)
子どもが幼稚園でお絵描きをする。そのときに、クレヨンの中に「はだいろ」という色を探す。
お友達に心無いことを言われて子どもが泣きながら帰ってくる。
「私の色は、クレヨンのはだいろとは違う色」
私の友人は、そのクレヨンを作っている文房具メーカーに手紙を書き、「はだいろの記載を変更してほしい」と問題提起したという。彼女はその運動を起こし、新聞記事にも取り上げられるほどになった。
その努力は実を結び、20年前には日本のクレヨンから「はだいろ」の記載は消えた。

★記事:「クレヨンから消えた”肌色”」
https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/800/299152.html


当時まだアフリカー日本のミックスルーツの子どもを産み育てている日本人は少なかったが、
それだけに私は、日本各地でミックスの子どもたちに出会うと、まるで自分の子どものように感じたし、そのお母さんとは同志のように思い、家族のように感じてきたものだ。
それは、苦労や悔しさを共感しあえるからであり、遠く離れたアフリカのルーツへの共感を共有しているからだったに違いない。

私はケニアで子育てをしてきたので、ケニアでは差別的な仕打ちを受けることはなかったが、日本で生きるミックスルーツの子どもたちが受けてきた仕打ちや経験、苦労を聞くにつけ、まるで我がことのように共感し、悔しく思い、涙したものだ。
そして、そのような日本社会の難しさの中で、傷つきながらも自分自身の中に誇りを見出し、顔をあげ、一歩一歩前に進もうとしている子どもたちに出会うと、感動で胸がいっぱいになる。
そして、そんな困難にもへこたれず、子どもたちに精一杯、誇りや、学びを与えようとして様々な試みをし続けてきた親御さんたちにも、尊敬の気持ちでいっぱいになる。

しかしそもそも、日本ではなぜそのように、違うルーツや、違うバックグラウンド、一般とは何かしら違う個性を持つ人に対して社会は厳しく冷たいのであろうか。
「気にしすぎ」「差別は意識しはじめたらキリがない」「自分は違うからよくわからない」「そんな差別は今どきはもう無いのではないか?」とは、出来れば言わないで欲しい。
これは、私たちの国日本で実際に今このときも続いている現実だからだ。
その現実を認め、直視したい。

肌の色が違う、髪の質や色が違う、目の色が違う、育ってきた環境や食べ物や言葉が違う・・・
子どもたちが学校で、そして同世代のお友達の間で、どんな言葉やどんな視線を投げかけられているか、それによりどれほど自分を否定され、傷ついているか、それを無視してはならない。
それは学校の中だけではなく、近所の人たち、電車の中、街を歩いているとき、様々な場面で襲ってくる。

涙ながらに様々な親御さんたちが話してくれた。
自分の肌に泣きながら消しゴムをこすりつけ、この色が消えない、消えない、と言い続ける子ども。
髪の毛が(地毛なのに)校則に違反していると教師に指摘され傷ついた子ども。
日本で生まれ育っているのに、自分の国に帰れと罵倒された子ども。

こんな数々のエピソードは、子どもを持つ親なら、誰もが胸をしめつけられるだろう。
私の知人の中には、子どもが自ら命を絶ってしまった親御さんもいる。
「なぜ私を産んだの。生まれたくなかった」と泣きながら訴えた子どももいる。

私たちは、自分の国で、このように傷つき苦しむ子どもたちを見過ごしてはいけない。
その痛みに気付き、受け止め、寄り添い、悲しみを共有したい。
ありとあらゆる差別や偏見、心無い言動を無くしたい。

子どもたちの声に耳を傾けよう。
そこから、私たちの国の在り方や、乗り越えなければならない課題が見えてくる。


さて、コンゴ民主共和国で生まれ、日本で育った20代のブランディあやかさんの記事を読んでほしい。

★記事:「私たちは前に進むことができる。」
http://all-about-africa.com/blackismatter/


Twitterでの彼女のツイートを巡って、この数日、いろんな形でアフリカに関わる日本人の皆さんの間で様々な意見が交わされているのを見た。
発端はこのツイートだ。


そしてさらにこう続く。


私は、ブランディさんの発言に、ハッとさせられた。
そして、興味を持っていろいろと見ていくうちに、その溢れる想いを受け取り、胸が揺さぶられた。
彼女はどれほど勇気をふりしぼって、この発言をしたのだろうかと思いをはせた。
これまでどれほどの痛みのある経験をしてきただろう、自分のルーツへの複雑な思いといかに向かい合ってきただろうかと思いをはせた。

反応は様々で、「やり方は人により様々なのだから」「自分は自分なりのやり方でやっている」「ハッシュタグ#をつけて発言することがすべてではない」「強制するのはおかしい」「分断させるのは意味がない」「敵を間違えてはいないか」などなど・・・・

それらの意見もわかる。わかるけれども。
その前に、20代のミックスルーツの日本の若者であるブランディさんが、こうして勇気をふりしぼって、いまこうして「知ってほしい」「アフリカに関係する人は無視しないで発言してほしい」「一緒にアクション起こしてほしい」と呼び掛けていること、彼女が伝えたいと思っているその奥にある想いを、表面的な言葉に振り回されずに受け取ってみて欲しいと思うのだ。

いま世界中に広がる #BlackLivesMattter  の波の中で、いてもたてもいられなくなって勇気を出して発言した彼女のことを思う。私はブランディさんに会ったことはないけれども、共感した。

普段の平和な日常の中では、
「アフリカンカルチャーが好き」「アフリカって面白い」「アフリカってオシャレ」と、その文化は流行にもなり、多くの人が楽しんでいて、さらに言うと、その分野で仕事を展開している人も今の時代はとても増えた。
また、アフリカの国々を「困難を抱えている、支援されなければならない国」という枠組みで見つめ、支援活動を展開してそれを仕事にしていたり、そこで生きがいを見出している人も昔よりずっと多くなっただろう。
みんな、それぞれの想いを持ち、一生懸命それに取り組み、様々な苦労もされていることだろう。

ところが、何らかの問題が起き、非日常的な場面になったとき、
「私はそれには関係ない」という無関心な態度、他人事な態度を取ってほしくない、とブランディさんは思ったのではないだろうか。
アフリカに関わる当事者として何か発言してほしい。完成された言葉でなくてもいいから、心を感じられる言葉が聞きたい。
それを一緒に発信したい。
なぜならば、そうやってアフリカ関連でビジネスをしたり活動をしたりする人たちのことを、
ブランディさんは赤の他人と思っているのではなく、
「アフリカ」というキーワードで共につながる仲間だと感じているからではないかと私は感じた。

一緒にこぶしを振り上げてくれと言っているわけではない。
一緒に考えたい。学びたい。モヤモヤする想いを声にしていきたい。
差別が存在する世の中を変えたい。
世の中の一般の人たちに少しでいいから関心を向けてもらいたい。
そんなブランディさんの想いが伝わってきた。

アメリカでの事件が発端になったけど、これをアメリカだけの他人事ととらえるのではなく、
いまこの機会に、人類すべての共通した課題としてとらえたい。
私たちの国日本のことも見つめなおしたい。
なぜこの世界には差別や偏見があるのか。
どうしたらそれを変えられるのか。

自分の経験を語ることにも意味があると思ったので、
私もブランディさんの呼びかけに応えて、少し自分自身の個人的な経験についてもツイートした。
それに応えて、自分の経験や、共感、疑問、反感などをコメントしてくれる多くの人たちがいた。
それにより私もまた、ひとりの人間として、どのように生きたいか、どんな社会を作りたいかという想いをあらたにしている。
語り合うこと、伝えあうこと、聞き合うことは本当に大切だし、そこから生まれる何かがあると思う。
(私のTwitter:@chiakihayakawa0 )

若いブランディさんに、勇気を出して声をあげてくれてありがとうと言いたい。
そして、ミックスルーツの子どもを育ててきた親として、あなたを誇りに思うと伝えたい。
アフリカンミックスの日本人として、日本で育つ上でどれほど痛みを伴う経験が多かったか、私には想像することしかできないが、そんな中で、自分自身のアフリカンルーツを誇りに思い、差別を無くそう、カルチャーを愛するなら一緒に痛みを共有して寄り添って欲しいと呼びかける気持ち、私はしっかり受け止めて、応えていきたいと思う。

次の時代を生きる子どもたちは、誰ひとりとして差別や偏見で苦しむことがない、そんな公平な意識が当たり前の世の中を作りたい、そのために自分ができる努力を続けていきたいと思う。


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