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アートマネジメントと文化政策学を学び始めて半年ほどが経ったいま、考えていること

最近読み終わった本。

どうでもいいことだけど、仕事や練習に時間を費やしている中でも読書で勉強をする暇を設けるのはとても大事なことだと思う。豊かな毎日に感謝。


私がアートマネジメントに興味を持ったのは昨年の11月頃。
当時は、神社に設置されている「絵馬堂」という建造物で定期的なパフォーマンス企画をやろうという構想を友人と練っていた時期だった。
(構想を深めていくうちに、現状の自分らの力量では到底実現させられないアイデアだと発覚したため、現在は計画を保留している。)

神社という地域性の高い場所でパフォーマンスイベントをやる際には、「公共性」を持たせられるように工夫するのが必然だと思っていた。
どのようにイベントをデザインすればいいのか?と悩んでいたときに、偶然知ったのが「アートマネジメント」という概念だった。

その課題に関連性のありそうな本を、自宅に積読してある本のなかから探し出したのが平田オリザさんの『芸術立国論』。『芸術立国論』は2001年、『これからのアートマネジメント』は2011年にそれぞれ出版されている。

自分がアートにかけらも関心のなかった00年代の頃からこんなに文化政策に尽力している人々がいたのか、と自分の知見の浅はかさを恥じたのが最初の感想であった。「日本の芸術文化は全く進歩していない」という漠然とした先入観をそれまで持っていたからだ。

どちらの本も、当時の日本における芸術文化の現状や課題点を洗い出し、上手に批評が加えられている本だった。2024年現在の状況と比べてみて、進歩しているところもあればまだまだ改善の余地があるように思われる部分もあった。

そういった比較検討を重ねることで、以前よりも今の日本の芸術文化に対する正しい認識を持つことができるようになったし、劇場や当事者たちがいま行なっているさまざまな文化活動の裏側にある意図や意義が見出せるようにもなったと思う。

自身の今後の活動方針にも大きな影響を及ぼした。
自己満足的な美学だけで表現活動するべきではないと改めて認識したし、より社会的な意義のある活動をしていきたいと考えられるようになった。

アートマネジメントは、アメリカやイギリスをはじめとした西欧諸国では当たり前に芸術教育に取り入れられている学問分野である。アーティスト当事者を含めて、芸術に携わる専門職の人々には常識的な知識なのだ。
一方で、日本はどれだけアートマネジメントが普及しているんだろうか。特に、アーティスト当事者たち。私はダンス歴7年目にして、本で偶然出会うことによってようやく知ることができた。これを知っているコンテンポラリーダンサーたち、ほとんどいないんじゃないだろうか。それがちょっと恐ろしい。


アートは自己表現の側面もあるけれど、基本的には公共性を含んでいて当然のものである。

アートマネジメントが普及している国では、どんな表現にも当たり前に公共性が内包されている。アーティストたちはそれを当然の仕事だと理解しているし、アートが国や市民に受け入れられているということは、受け手である彼らもそれを把握しているということなのだと思う。

一方日本では、公共性の高さを強調して「意義深い活動」とブランディングしなければ基本的に芸術活動は受け入れられない。
芸術の価値や地位が低く、そういった箔をつける必然性が生まれているのも、日本が文化芸術に対する理解が浅いがゆえのことであること。

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