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[Vol.1]朗読詩人/歌人の偏りまくり音楽遍歴-幼少期篇-

 最近の私は詩人、歌人と名乗ってものを書いたりステージでマイクを握ったりすることが多い。ポエトリーリーディングやラップの演者と接することが増えて、ヒップホップやR&Bなどブラックミュージックを好んで聞くようになった(全然詳しくはない)。
 今でこそJ-WAVEやらInterFMやらを聞き流しては最近のヒット曲も追えるようになってきたけれど、幼稚園から小学校にかけての時期は、同年代のほぼ誰とも音楽の話が合わなかった
 そんな幼少期を経て、なんで今こんな感じなのかを自分でも振り返ってみたいと思う。

世代感を整理しよう

 私は1996年生まれで、これを書いている時点で23歳ということになる。(どうでもいい話だが、幼稚園時代にジブリ映画『千と千尋の神隠し』が大ヒットし、自分の名前「ちあき」を「ちひろ」とさんざん間違われてギャン泣きしていたのを覚えている。)

 触れてきたメディアは主にCDアナログレコードは祖父母の家で見たことがある程度で、自分でアナログレコードをかけて音楽を聴くという経験はない。カセットテープは両親のコレクションを目にしたことがあるが、これまた自分でかけることはほぼなかった。録音メディアとしてはたまに使った。短冊CDは覚えている。某ベ○ッセの付録にも入ってた。MDが生まれて死んでいくのを見た。iTunesとiPodの登場に歓喜した。サブスクリプションサービスが普及してるけど、自分自身は二の足を踏んでいる。そんな感じの世代感です。

どんな音楽を聴いてきたかの前に、どんな音楽をしてきたかも書こう

 わたしは、ヤマハ音楽教室の3歳児向けコース「おとのゆうえんち」に、気づいたら通っていた。リズムで遊んだり、歌を歌ったり、楽器を弾いたりと、芸達者な先生と一緒にのびのび遊ばせてもらった。ヤマハの英知、エレクトーンもガンガン触らせてもらえる。
この「おとのゆうえんち」というコースは、もう無くなってしまっている。「おんがくなかよしコース」というプログラムに変わってしまったので、おとのゆうえんちのキャラクター「なあにちゃん」にももう会えない。おとのゆうえんちのテーマソング「な~あにちゃん~こんにちは~はーいこんにちは~♪」もまだ歌えるし、なあにちゃんのモッフモフのぬいぐるみが大好きだった。

くっそう懐かしいな

 「おとのゆうえんち」の次は、ステップアップして「幼児科」というコースにまた気づいたらいた
 歌ったり楽器を弾いたりを楽しむ感じは「おとのゆうえんち」から地続きだが、易しい曲の楽譜を自力で読んで鍵盤を弾けるようになるくらいまで、技術がレベルアップする。
 この「幼児科」の教材VHS(!)がよくできていて、ヤマハオリジナル曲やクラシック音楽の名曲に、これまたオリジナルのアニメーションをつけてたくさん収録してくれている。このアニメーションがまたよくできていて、曲に没入できるし、曲とアニメを一体になって覚えてしまう。今になって思えば、めちゃくちゃクオリティの高い鑑賞教育だったなと思う。

うわうわうわ懐かしい。そう、「ぷらいまりー」というシリーズだった。

 小学校に上がると、ヤマハ音楽教室を卒業して、ピアノの個人レッスンを受け始めた。ピアノは小学校1年生から高校2年生まで、足掛け11年間続けた。時には目から水を垂らしながら、われながらよくがんばったなと思う。
 小学生低学年~中学年にかけては、教本(基礎トレみたいなの)はバーナムハノンツェルニー。全音楽譜出版社の、だいたいこういう感じの表紙の楽譜がいっぱいあった。

 練習曲(基礎トレと楽曲の橋渡し)はだいたいブルグミュラーをやっていた。ちゃんとした(?)楽曲だと、バッハの簡単なチェンバロ曲集(アンナマグダレーナバッハのための音楽帳とか)、ソナチネ曲集とかを弾いていたと思う。
 年に一度の発表会では、子供向けでも本格的な曲がやれるので楽しかった。中田喜直平吉毅州湯山昭の曲が好きだった。
 作曲家の名前でググると、演奏動画とか試聴とかいろいろ出てくると思うので、気になる人は調べてみてくだされ。

幼少期の実家で流れていた音楽①童謡・唱歌

由紀さおり・安田祥子姉妹の童謡・唱歌コンピレーション

 いきなりこれかという感じがしそうだ。でも、たぶんこれだったと思う。まさかの5枚組……。幼稚園のおゆうぎの時間で、よく童謡や唱歌を歌うから、自然と覚えられるようにという両親の計らいだったのかな~と思うけど、童謡・唱歌のトップレベルの歌声をなんとなく聴いていたと思うと、「ヒエ~~~(恐縮)」みたいな気分になる。ちなみに、由紀さおりの歌声とは、ピンク・マルティーニと由紀さおりの共作アルバム『1969』で再会した。大好きなアルバムです。

 ちなみに、ピアノ曲の作曲家の名前が、童謡の作曲家としても有名なケースはままある。
 先ほど挙げた中田喜直は「夏の思い出」「かわいいかくれんぼ」「早春賦」「めだかのがっこう」「ちいさい秋みつけた」などのスタンダードナンバーを手掛けている。
 湯山昭は「あめふりくまのこ」「おはなしゆびさん」「山のワルツ」「おはながわらった」などちょっとオシャレで遊び心のある曲を書いていたりする。曲名でピンと来なくても、聴いたら「あ~!」って気づく曲が多いと思います。

幼少期の実家で流れていた音楽②クラシック音楽

 ピアノ教室で弾くのは基本的にクラシック音楽ということもあって、たぶん両親の計らいでいろんな演奏をなんとなく聴かせてもらっていた。

親子向けのクラシック音楽コンピ『こどもクラシック2~親子で聴くたのしいクラシック』

https://books.rakuten.co.jp/rb/3881146/

 なんとなくかかっていたクラシック名曲集のひとつ。子ども向けということもあって、ストーリーやモチーフがわかりやすく、楽しい曲がたくさん入っている。
 例えば、ルロイ=アンダーソンの「ワルツィング・キャット」は、ねこの「ニャ~オ」という鳴き声を模したメロディーが特徴的で、マネしたくなる。アンダーソンの曲ばっかりのアルバムも流れてたけど、時計モチーフの曲や、タイプライターの音をフィーチャーした曲もあって、おもしろい。一曲の長さもそんなに長くないのでサクッと聴ける。

サン=サーンスの『動物の謝肉祭』全曲アルバム。(マルタ・アルゲリッチの名演ですよ!)

 このキモかわいいアートワークも子ども心に好きだったな~。人の手にペイントして、動物に見せているというわけ。
 動物モノの音楽は楽しい。「ライオン」「白鳥」「」「カンガルー」など有名どころの動物ばかりかと思いきや、「化石」(!?)、「ピアニスト」(人間!)という驚きのメンバーもいる。これ全曲通して何回も聴くと、動物園で勝手に各動物の音楽が脳内再生される。
 実家には、同じくサン=サーンス『動物の謝肉祭』の全曲ライブ映像のVHSもあって、わたし(子ども)がそれをテレビで見ながらたらいにお湯を張って足湯をするというイベントがあった。なんだったんだあれ

幼少期に実家で流れていた音楽③洋楽

(洋楽・邦楽というざっくりした区分はそんなに好きじゃないけど、わかりやすいので洋楽と呼んでおきます。)
 わたしがピアノでクラシック音楽をやるという環境もあって、実家には、ピアノ教室や学校の音楽の授業で触れるであろうクラシック音楽のCDはひととおりそろっていた。

 一方、両親が親しんで聴いていた音楽の影響も、主にカーステレオを通じてモロに受けていた。そのためかどうか、同時代のJ-POPに触れ始めるのが、学校のクラスメイトたちより圧倒的に遅かったと思う。

ビートルズの赤盤・青盤

 特に赤盤の曲は、シンプルで明るくてアッパーな曲が多かったので、うろ覚えでマネして歌っていたと思う。というか、あれよ、ハッチポッチステーションの影響があったから余計によく覚えていたんだと思う。おのれグッチさん(感謝しています)。

ハッチポッチステーションとは、めったに電車が来ない鉄道駅を舞台にした、子供向け(?)音楽バラエティ番組。グッチさん(グッチ裕三)や、駅員のジャーニーくんなど愉快な人形キャラクターが、コントや音楽を披露してくれる。
 「ハッチポッチはリアルタイムで見ていたけど、大人になって後追いで調べてみたらなんかおもしろかった」という人は、思った以上にたくさんいるようである。中でも、What's Entertainment?That'sじゃないのかよ)というコーナーは、洋楽と童謡・唱歌を巧みにマッシュアップし、グッチさんや人形たちが本気でふざけるコーナーとして今なお根強い人気を誇る。
 上で紹介した「ビールとす」の動画が、ビートルズの有名曲と童謡をマッシュアップしたメドレー。もうどっちがどっちかわからなくなるくらい、どちらも好き。

 こうしてわたしはビートルズの熱烈なファンになった……というわけでは必ずしもなかったが、好きな曲は多い。大学3年生のときに一瞬だけ、ビートルズのカバーバンドサークルにいたこともある。

他にも、洋楽ではABBAカーペンターズがよくカーステレオで流れていた。「のーうぃんみ、のーうぃんゆ、 あはあ~~~」(Knowing Me, Knowing You/ABBA)、「え~び~しゃららら~えびうぉううぉう~そしゃ~~ん」(Yesterday Once More/Carpenters) くらいのマネなら、英語を知らない子どもにも易しいので、聞き取れる部分だけ声を合わせたりしてたな。

幼少期の実家で流れていた音楽④ピンク・レディー

ジャンルじゃなくてアーティスト名なのかよという感じがするけれど、幼少のわたしにとっては、THIS IS JAPANESE POPだった。これがすべてだった。

 シンプルで聞き取りやすい歌詞、一曲一曲のストーリー設定のクオリティの高さが好きだった。それに、低めの音域でかっこよく歌うミーとケイに私はとりこになった。ピンク・レディーのファイナルコンサートがずっと前に終わってしまったことを知って、子ども心にすごく悲しかったのを覚えている。
 同じく70年代後半に活躍し、何かと比較されたアイドルにキャンディーズがいるが、後追いでもあまり聴かない。幼少期にほぼ聴いてこなかったということもあるし、自分自身が女声にしては低めの声であることとか、あんまりかわいくてフワフワした感じのもの全般に不慣れで落ち着かないからとか、いろいろ理由はあるとは思うけど、とにかく私はピンクレディーの歌が大好きだったし、今も大好きだ。

次回、小学校高学年~中学生篇──未知(J-POP)との遭遇──

書いてたら色々思い出して、長くなってしまった。次回はいつになるかわかりませんが、そして需要があるのか毛頭わかりませんが、小学校高学年~中学生篇!未知(J-POP)との遭遇、まだまだ影響を受け続ける80年代歌謡曲とアイドル、そしてVOCALOIDの足音などなど、書くことはたくさんありそうです。だんだんかすんでいく記憶をなんとかたどりながら、次回もどうぞおつきあいください。

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