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総額2,200円のガチャガチャたちを眺めながら人文学について考えてみた話

ガチャガチャオールスターズ(筆者撮影)

※この文章は、廣川ちあき自身が執筆した記事を転載したものです

どうもこんにちは。朝晩めっきり冷え込みましたがいかがお過ごしでしょうか。
今回は、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻比較文学比較文化分野(長い)の廣川が担当します。前に担当した記事のサムネがパスタだった人です。


自己紹介記事も一周したので、今回からは、UT-humanitas2018のメンバーが、人文学に関係あったりなかったりすることを書いていきます。

カプセルトイの話をしよう


さて、例によって二周目のトップバッターを務めることになったわけですが、タイトルを見てこいつは何を言っているんだと思った方は多いと思います。上等です。わたしは本気でガチャガチャと人文学について本気で語り倒せる自信があります。


(大風呂敷を広げたことに気づいて呆然としています)


さて、タイトルに「ガチャガチャ」と書きましたが、商標の関係からいちおう、総称は「カプセルトイ」となっているようです。アメリカから日本にカプセルトイが上陸したのは、1965年のこと。はじめは10円機が主流でしたが、73年のオイルショックを機に20円以上が登場しました。100円機が主流だったころにカプセルトイに親しんだ方も多いと思いますが、現在では200円~500円機をよく見るようになりました。
(参考: まんたんウェブ「カプセルトイ:今年で国内流通50周年 第3次ブーム到来」2015年08月23日付。最終閲覧2018年10月19日)

かつては、町のおもちゃ屋さんの店頭やゲームセンターで、子どもたち(特に男の子)が遊ぶイメージだったカプセルトイ。値段が安いということもあって、封入されているグッズもそんなに凝ったものではないというイメージも、長らくついてまわったようです。

100円機のカプセルトイ。「星のカービィ」のデデデ大王(個人蔵、筆者撮影)

ところが、最近のカプセルトイはそうでもない
もちろん、子どもたちに人気のアニメ・ゲーム・特撮を題材にしたカプセルトイは、依然として多数を占めます。しかし! いい年した大学院生がヨ◇バシカメラで、低い位置にある筐体のダイヤルを回すためにわざわざ身をかがめて膝をつき、ガコンという重たいダイヤルの手ごたえに固唾を飲み、挙句の果てには一日のうちに総額2,200円をカプセルトイに捧げ(え、そんなにたいした金額じゃないって? 万単位で使わなきゃ驚かないって? さすがに破産するから御勘弁願いたい)、かつ、カプセルトイにかこつけて人文学のことを小一時間思案できてしまうくらいの名(迷)品たちが、今や雨後の筍をもしのぐ勢いで誕生してはヒットし、あるいは消え、まさに群雄割拠の戦国時代の様相を呈しているといってもなんら過言ではありますまい!
もうめんどくさいのでここからは敬体(です・ます)も解除して!常体(だ・である)で書かせてもらいたいと思う!ぞ!


(大風呂敷をたたむタイミングを失いました)


①ハシビロコウまんじゅう(300円)by Qualia

筆者撮影


ハシビロコウという鳥をご存知だろうか。大きな図体、独特なフォルム、鋭い目つき、「動かない」という最大の特徴、たまにかわいくおすわりをしているというギャップ萌えもあいまって、近年SNSを賑わしている鳥である。それがおまんじゅうになったのである。さながら某ひよ子である。

画像引用元:東京ズーネット「どうぶつ図鑑」 。よくこのフォルムの鳥をまんじゅうにしようと思ったな……

しかし、ハシビロコウまんじゅうというまんじゅうは実在しない。ハシビロコウまんじゅうというカプセルトイのみがこの世に存在するのだ。プレーン、黒糖、よもぎ、あじさい、さくら、ノーマルの6種類展開。味の種類かと思ったのに、最後の「ノーマル」はなんなんだと言いたい。さてはおまえまんじゅうのふりをした普通のハシビロコウだな。

引用元 ハシビロコウまんじゅう│Qualia

このカプセルトイを見たときに、「なんでだよwww」「どうしてこうなった」「誰得だよ」という心の声が漏れた方は多いだろう。わたしももちろんその一人である。

ここで、ちょっと考えてみてほしい。

「なんでだよwww」「どうしてこうなった」「誰得だよ」という心の声を発せしめるものは、一体なんだろうか? 

世の中に存在するものなんて、誰に向けたものかだいたい決まっていて、何の役に立つか一目見てわかって当然、と、知らず知らずのうちにたかをくくって、自らおもしろくない生き方を選んでいはしないだろうか?

既存のものごとを組み合わせて、誰も知らない未知の価値をつくるという、すこぶる人間らしい営為。これを見事に具現化したのが、「ハシビロコウまんじゅう」なのではないだろうか。

②漢字部首コレクション(200円)by エポック社

筆者撮影


さきほどのハシビロコウまんじゅうと比べて若干、ビジュアル的なパンチの強さでは劣るが、何か(つまり別のパーツである)を待つ部首たちには、涙がちょちょぎれる思いである。
日頃さまざまな漢字に使われて身も心もすり減らし、はては「形声文字ですから(=音を借りてるだけで漢字のパーツ自体に意味はないですから)」なんぞと微妙にdisられ、次第に自信を失っていった部首たちが、このカプセルトイによってその造形的美しさと、不完全にして完全な存在感を大きくフィーチャーされたのである。部首復権である。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケよろしく、「ない部分のおかげで美が成立している」と称賛を一身に浴びる日もそう遠くはない。

このカプセルトイの功績は、誰もが知っているのに見逃しがちなものごとに、新たな価値を見出したところにあるだろう。
わたしたちはそういう目をもっているだろうか?

③えのぐニュライム(300円)by アイピーフォー

筆者撮影(スライムを回収するのに小一時間かかった)


絵の具のチューブの形をした容器から、スライムが出てくるだけのカプセルトイである。

楽しい。以上

コップのフチ子ULTRAS1.5(300円)by キタンクラブ

筆者撮影


オフィスで働く女性、「フチ子」さんのカプセルトイ。わたしが今回入手したのは、応援団仕様のフチ子さん。なかなか身体を張っている。コップのフチ子のコンセプトは、「カプセルトイ、興味あるし、買ってみたいけど、置き場所がちょっとね~」という中途半端な言い訳を一蹴するだけの破壊力を持っている。そんなもん問答無用でコップのフチに置いてしまえばいいのだ、と。


我々はべつに、「フチ子が座るためにあるんだよな~」などと思いながらコップを眺めていたのではない。しかし、日常で目にする様々なモノから、フチ子が「腰掛けるところ」「ぶら下がるところ」という役割を引き出すさまを、目の当たりにするのである。フチ子が関わることで、モノの性質が新しく現れる、これはJ.J.ギブソンが提唱した「アフォーダンス」の理論にほかならないのではないだろうか!?(『イミダス2018』、『世界大百科事典 第2版』などの「アフォーダンス」の項を参照)

なにとはなしに見過ごしてきたものごとを、これまでとは違うつつきかたをしてみたら、新たな役割や価値が発見できるかもしれない。これはまちがいなく、気の遠くなるような旅路である。半ば絶望する気持ちも痛いほどわかる。

しかし、その旅路からみすみす目をそらす積極的な理由など、存在しないのではないか? なぜならそれは、絶望であると同時に希望でもあるからだ。わたしたちが自分で自分の世界をおもしろくするために、その旅路はわたしたちの眼前に延びていてくれるのではないか?

⑤歌川国芳 猫の立体浮世絵美術館(400円)/⑥35 ACTION SOLDIERS(300円)by 海洋堂

筆者撮影

いつまで大仰なことをしゃべっているのだ、というお叱りの声がそろそろ聞こえてきそうである。「だからなんだ」という罵声も飛んできそうな予感がする。だが、「だからなんだ」には、「なんだとはなんだ」と返しておくほかに打つ手はない。

※人文学のことはちゃんと後から書くから安心してほしい。

さて、海洋堂のカプセルトイ「歌川国芳 猫の立体浮世絵美術館」と、「35 ACTION SOLDIERS」である。食玩市場においてもフィギュアのクオリティを爆上げした凄腕職人集団・海洋堂が、歌川国芳の浮世絵の猫を立体にしてこの世に出現せしめ(かわいい)、はたまた1/35スケールの可動フィギュア(首と両腕と胴体のそれぞれの付け根が動くのだ)をたった300円でわたしたちの掌に届けてくれたりする。

ところで、日本の文芸における定型詩というジャンルに、「短歌」「俳句」がある。短歌は31音、俳句は17音という音数の制限があり、その他にも様々なルールがある。わたしも短歌や俳句をほそぼそと嗜んでいるクチだからわかるが、「そういうことも31音にちゃんとはめて言えちゃうんだ!」みたいな、制約と内容のせめぎあいから生まれるプリミティブな驚きは見逃せない。
カプセルトイもまた然りである。「カプセルトイでこんなこともできちゃうんだ!」という原初的な驚きがなければ、財布をのぞいていそいそと100円玉を探す気にはならないのだ。

思えば、わたしが前の担当記事で紹介した、池上俊一先生の著書『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書)も、いわば「パスタ」というテーマ=制限の中でイタリアの歴史を描き出す、という目標のもとで書かれていた(制限なしにいろいろ書いちゃうとかえって大変なことになる、という側面もあるが)。本の字数や、ジュニア向けの言葉のつかいかたなどにも制限があっただろう。

そうした中で、同書は「パスタでこんなことも言えちゃうんだ!」という驚きを届けてくれていた。

制限があるからこそ、ワンダーが必要なのだ。

⑦1/12カプセルステーションVI(200円)by バンダイ

筆者組み立て・撮影


バンダイのカプセルトイ販売機「カプセルステーションVI」が、1/12スケールになって、カプセルに封入されてお目見えである。カプセルを開けたら、ばらばらのパーツを組み立てて、小さな小さなシールを貼りつけて、タイニーでキュートなカプセルステーションが完成する。高さはだいたい6cm。驚きなのは、筐体の真ん中にあるダイヤルがちゃんと回り、カプセルの形をした小さい玉が本当にコンコロリーンと転がり出てくる、徹底したリアルさだ。

本来大きいものが小さくなることで、何か心をぐっと引きつけるものが生まれる。考えてみれば不思議なことである。そのフックを生み出すものはいったいなんだろうか? 

つまるところ、価値とはなにか?

カプセルトイはこんな問いをも、わたしたちに投げかけてくる。

⑧氷河期の僧侶(200円)by タカラトミーアーツ

筆者撮影


今回わたしが落としたカプセルトイの中で、最も衝撃的だったものが、最後に紹介する「氷河期の僧侶」

まだ秋も深まっていないのに、身も心も寒々とつらくなってくる。机の上なんかに呑気に置いている場合ではない、この僧侶は冷凍庫の中に置くほうがいいにちがいない。こんな思考が働く時点で、このカプセルトイはただ者ではないとわかってしまう。「氷河期に僧侶はおらんやろ」というツッコミはこの際、どこかに置いてきていただきたい。なんだかわからないが、修行から目覚めたら氷河期だったんだよ!!! 彼らはこの氷河期に立ち向かわなければならないんだよ!!! ただそれだけのシンプルな事実があるだけなんだよ!!!

一旦落ち着こう。「氷河期の僧侶」シリーズは4種類展開で、写真の「托鉢」のほか、「念仏」、「座禅」、「作務」(雑巾がけ中だったらしい)がある。(ぶっちゃけ実物よりキービジュアルの写真のほうがかっこいい)

もはや多くは語るまい。もう一度、①のハシビロコウまんじゅうで投げかけた問いを再び思い出してみよう。

「なんでだよwww」「どうしてこうなった」「誰得だよ」という心の声を発せしめるものは、一体なんだろうか? 
世の中に存在するものなんて、誰に向けたものかだいたい決まっていて、何の役に立つか一目見てわかって当然、と、知らず知らずのうちにたかをくくって、自らおもしろくない生き方を選んでいはしないだろうか?


やっと人文学につなげるとこうなった


さて、ここからが本題である。


1. 既存のものごとを組み合わせて、誰も知らない未知の価値をつくる
2. 誰もが知っているのに見逃しがちなものごとに、新たな価値を見出す
3. 楽しい
4. 自分で自分の世界をおもしろくする
5. 制限の中でワンダーを生む
6. 価値とはなにかを考える

ここまでさんざん、様々なカプセルトイについて書いてきた。そして、カプセルトイを一種類紹介するごとに、なにやら教訓めいた結論づけをしてきた。それらの結論を列挙したのが、上記の6項目である。

この6項目、わたしが考える「人文学の役割」に全部あてはまる。

例えば、経済にトレンドが、ファッションにトレンドがあるように、「人間のトレンド」もあるのではないかと、わたしは考えている。時代や地域ごとに変化するトレンドもあれば、世界全体で共有されるトレンドもあるだろう。トレンドは「価値」と言い換えることもできる。何が大切か、世界をどう見ているか。例えば、「時間を守る」というのは、つい最近になって出現した、「人間のトレンド」=「価値」の一つである。「男女平等」とかもそう。

古い時代からずっと存在していて、時代によって変化し続ける価値もある。例えば、ネアンデルタール人が初めの例とされている「埋葬」。人間が誰のためになんのために、どのように行ってきたかは、時代や地域、宗教によって異なる。現在は、葬儀の形式もますます多様化してきて、「埋葬」にも新たな価値が与えられたり、あるいは失われたりしている。

こういった、「人間のトレンド」=「価値」を、あらゆるヒントから探し出し、組み立てて、新たな価値を掘り出すのが、人文学だと思う。

そういった新たな価値というのは、偉い人から頼まれて見つけるものではない。むしろ、頼まれもしないのに探しに行かないと、時代に先んじることなど不可能だ。それに、おもしろくない。それゆえに、お金をちゃんと投じて、人文学が、頼まれもしないのにどんどん発掘を続けられるようにすべきだと思う。

その鉱脈はあまりに広大だ。よりにもよってわたしたち人間のすぐ足許に広がっているから、ついつい見逃してしまう。

人文学が相手にするものごとたちは、一見して自明で、あるいは見えにくくて、疑わなくてもなんとなく生きていける。それゆえ、政治や経済の駆け引きばかりが世の中のすべてだと思い込んでいる人々や、「実学」を自負する人々からは、往々にして軽んじられる。

だが、ほんとうにそれでよいのだろうか?

わたしは、人文学をないがしろにして、自分の目の届く範囲の時代や地域のことしか考えられない人間ばかりになると、人類全体としてダメになっていくと本気で思っている。いや、自分の目の届く範囲の時代や地域のことすら考えようとしない人間も増えているのかもしれない。SNSの時代になって、そんな狭隘な視野をもつ人間がますます増えている。自分が共感できる意見しかタイムラインに並ばないように設定して、自分の価値観をただただ強化するだけ。わたしもそうなってしまいそうだ。だけど、こんなはずじゃなかっただろ人間。

そして、そうなりそうな世界を、人文学が救うだろうと、これまた本気で信じている。さながら、自分の思いもしなかった価値に目を開かせてくれるカプセルトイたちのように

人文学が世界を救うには、めちゃくちゃ時間がかかると思う。
だからこそ、苦しくてつまらなくてお金にならないとばかり言い立てられるんじゃなくて、制限があっても、楽しくて、自分で自分の世界をおもしろくすることができるんだよってことが、あらゆる人に伝わってほしいと願っている。

もう一度言う。人文学は世界を救う


世界を救うものが、「役に立つ」ものでなくて何だというのだろうか?


おわりに

総合文化研究科N先生ご提供、筆者撮影。猫にかぶせる帽子のカプセルトイ(キタンクラブ)。もはやカプセルトイはわれわれ人間だけのものではないのだ

これ絶対各方面から怒られる。すいませんでした。でもね、わたし単なるカプセルトイのまとめサイトをつくったんじゃないんですよ。強いて言うなら「価値」のまとめサイトかな。でも、「原始から現代まで!人間がみつけた『価値』をまとめてみた」とかいうまとめサイト、誰も見ないでしょ。

それはともかくとして、わたしたちUT-humanitas2018の駒場祭企画「ジブン×ジンブン」でも、皆さんなりに、人文学ってなんだろなあ、という思索を楽しんでいただけたらうれしいです。

駒場祭でお待ちしています。

「ジブン×ジンブン」企画ID:386
第69期駒場祭にて開催東京大学駒場キャンパス(東京都目黒区 京王井の頭線・駒場東大前駅東口よりすぐ)
会場:1号館1階 112教室
日時:2018年11月23日(金)9:00-18:00/11月24日(土)9:00-18:00/11月25日(日)9:00-17:00
※25日(日)のみ終了時間が早まりますのでご注意ください。
入場料:無料(任意カンパ制

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