真夜中と金魚鉢

宵の雨風、冷たく輝く夜半の月
凍りゆく水たまりに閉じ込められる落ち葉
コートを脱いでハンガーに掛けるとき
手放した体温の行き先をふと思う

夜更けの台所でひとりマッチを擦れば
生まれた朱色の小さな炎はおもむろに
身震いして縮こまり
何事か決心する

小さな炎はマッチ棒の先を蹴って
身を躍らせ水だけが満たされた金魚鉢にぽちゃんと飛び込む
お荷物になる思いなら振り払えと媚びるようにまわるエトワール
32回転のフェッテ 

冬の日の光を透かすカーテンのような尾びれがひらひらと生まれて
炎はあかい金魚になった
回るのをはたとやめてゆったりと泳ぎだす

そのくせ綿菓子を水道で洗い流してしまった泣き出しそうな子供のように
何事かいいたげにぱくぱくと物申すけれど
時計の秒針が刻まれるばかり

かにかくに恋しいのは終わる前にそもそも始まっていなかったとるに足らない過ち
それは金魚がいないまま冬を迎えた金魚鉢
割るのも忍びなくて思案に暮れていた

二度と戻らないことは
洗い流した綿菓子 
進んだ秒針 
午前二時に食べるプリンの罪深い甘さ 
怒りの手紙 
コートに預けた体温
グラウンドの砂に消石灰で引かれた白線をいともたやすく踏み越えること
何のためにそうしたかと畳み掛けるにわか雨に降られるすじあいなんてない

それでも後ろを振り返りたいという
熾火のような燃え残りの思いにさいなまれることがままある
痛みを素直に痛がる権利を手放す気はない
けれど油を注がれることだけは御免だ

右手に持ったままのマッチ棒の先を
金魚鉢の中の火がじっと見つめている
こちらの視線に気づいたエトワールは
すねたように媚びるようにひれを翻す

どっちにしたいんだと苦笑いしながらも
もう金魚になったんだ、そんなことは火を見るよりも明らかだし
油を注いだところで水に要らぬ蓋をするだけだ

注ぐべきは油じゃなく静かで優しいまなざしだ
赤いエトワールはふわふわと泳ぎ
ひとたびゆるんだ寒さが冴え返り
水たまりの凍り始める音が聞こえる

(2016年12月)

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