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シネマ

巨大なスタジアムを埋めた群衆の頭上をカメラが滑っていき
ふわりと浮き上がってステージにいるミュージシャンをとらえる
フレディー・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコン
それぞれにそっくりな俳優たち
実際にあったライブを完全に再現した映像を見ながらふと考える
なぜわたしはフレディではなかったのかと

もちろん今のわたしであることにこれといった不満はない
むしろわたしはまあまあおもしろい人間だということもわかりつつある
だが、なぜ一回につき1通りの人生しか送れないのだろうかと
考えこんでしまうのだ

なぜわたしは「ブルース・ブラザース」のジェイクではなかったのか?
なぜわたしは「オズの魔法使」のドロシーではなかったのか?
なぜわたしは「スター・ウォーズ」のハン・ソロではなかったのか?
考えてもよくわからない
わたしが生きられなかった人生が無数の物語として映画館で上映され、
TSUTAYAで貸し出されている
ひょっとしたらその中に
わたしが生きるはずだった人生がまぎれこんでいるかもしれない

時々怖くなることがある
ウッドデッキの道に大きな枯れ葉が落ちて
爆弾でも落ちたような音を立てる
そのとき無意識に身体を震わせて思う
いま、たまたま死ななくてよかった、と
人通りの多い街で車が暴走して
通行人がひき殺されたニュースが流れる
それを夕食の味噌汁を飲みながらぼんやりと見る
わたしがたまたま死ななくてよかった、と
思ってしまう自分が怖くなる

人気のない帰り道で
いつか見たミュージカル映画のステップをまねて
街灯のひとつひとつに架空の星の名前をつけてやる
人間一人に理解できる世界の大きさなんてたぶんそんなものだ
日本や東京や杉並区でさえわたしは知りつくしていないし
父や母にも幼少期があったことにいまだに確信が持てない
わたしが一生かけて鉄道や車や飛行機で移動しうる合計の距離
一生かけて会うことができる人の合計の人数を
費やしても到底、すべてを理解することは不可能だ
わたしにわかるのは
さっき数分間だけ風に舞っていた冷たい粒が
初雪だったということだけだ

スタジアムを埋めた観客の歓声が遠のき
スクリーンにはフレディ・マーキュリーの死を記した文章が映し出される
わたしではない人生がまたひとつ終わった
わたしは好きな服を着る わたしを水底へと引きずりこもうとする力と戦うために
わたしは好きなメイクをする 自分で自分をなんとなくいい感じだと思うために
わたしは歌を歌い、映画を見て、詩を書く わたしが生きるかもしれなかった人生をわたしの一部にするために
それらがたとえ薔薇色じゃなくても構わない
ただ、今ここにいる確かさを知るだけでいい
今ここという確かさを知るだけでいい

(2019年1月)

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