白亜の恋文
指先で触れることすらもためらう。
ふとしたはずみで壊してしまいそうだから。
それでも、優しくつかまえなければ
たやすく指先をすりぬけるあなた。
遠い異国の山あいにそびえる
白亜の城からやってきた使い。
あるいは、彫刻家の恋人の忘れ形見でいることに
飽き飽きした石膏の化身。
あなたの姿はたとえば、におやかに濃さを
増していく五月の芝生の色や、
時折小さな星が眠そうに瞬く
藍色の宵闇に、ことによく映える。
それでいて、今朝の畑でとれたばかりの、まだ
みずみずしい白いねぎのように、
あるいは日曜のまひるまの食卓に
傷ひとつなくむかれたゆで卵のように、
つつましくつややかな光をまとって
あなたは眠る、しかるべき時まで。
あなたが語り、描く世界は
あなたが思う以上に鮮やかでまぶしい。
心奪われるという言葉を
覚えるよりも早く、まだ幼い頃に
あなたに出会ってしまったと思えば
せつない仕打ちというものだ。
貫之も、太宰も、ワーズワースも
あなたが教えてくれなければ出会うことはなかった。
知恵の世界を軽やかに遊ぶあなたを
天女の衣の名で呼ぶ人もいた。
時にあなたがつきつける正しさは
世界中の数学者もひれ伏すほど。
アスファルトにあなたが引くテリトリーの線には
何ぴとをも許さぬ戒めがある。
あなたが語り、描く世界は
水をかけられたくらいでは消えはしない、しかし
指先で触れればたやすくにじみ、
いつも跡形もなく消されてしまう。
あなたは美しいままで、だんだんと
やせ細りながらはかなげに微笑む。
電線に薄く積もった粉雪が
風に吹かれてはらはらと舞い落ちるように。
どうせ消えるだとか、
はかない命だとか、
粉っぽいとか、たかがチョークだとか人は言うけれど、
今朝の畑でとれたばかりの、まだ
みずみずしい白いねぎのように、
あるいは日曜のまひるまの食卓に
傷ひとつなくむかれたゆで卵のように、
つつましくつややかな光をまとって
新しいあなたは眠る、しかるべき時まで。
(2017年1月)
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