アー写2

令和浪漫篇・序章

はじめに

私のライブでは、バラバラに作った歌を、「語り」によって一つのテーマで繋ぎ合わせるという試みをしています。
現在は『令和浪漫篇』と名付けて、和洋折衷の衣装をまとった語り部に扮していますが、この存在がどういった背景を持っているのか、小説にしてみました。

本文

「なああんた、ここは一体――」
 ばさり、と黒羽織の裾が閃いた。白檀の香りが舞い上がる。私はその人物の顔を間近にみる。肌が白い。男とも女ともつかぬ。半分伏せた瞼の奥では怪しげな光がぬらぬらとしていた。紅を引いたような唇が、すう、と釣り上がる。
「此処は虚実のあわいに御座います」
 ぎいこ、と音がした。船だった。その人の漕ぐ櫓によって、船は暗い水面を音もなく滑っていく。足元の洋燈が茫と照らすほかは一切の闇である。
「私は死んだのか」
「さあ、どうだか」
「どこへ連れていく」
 くつくつ、と笑い声が返ってきた。
「行き先など。時がゆけば消えてなくなりますゆえ」
「ならば夢か」
「現というものを定義すればそうでしょう」
 私は暗がりの中で顔を撫でた。いよいよ以て意味が判らない。まあいい、夢だとすればいずれ醒めるのだ。
「名前は」
「人は私を語り部と呼びます」
 突如激しい風が轟々と吹き付ける。私は咄嗟に耳を塞ぎ、身体を丸くした。
 ほんの僅かの間であった。風が止み、恐る恐る起き上がる。
 私は息を呑んだ。船の通り道を真っ直ぐに残し、辺りは橙色の灯りに満たされていた。夥しい数の蝋燭のようにも見えたが、目を凝らすとふわふわと自立している。
「その灯りひとつひとつが人の想像、感情、思考、あるいは世界の記憶」
 語り部は掌を差し出す。ふらり、ふらり、と光がその指先に集った。
「此処にはこの世の全てがある。未だ来ぬ過去と、過ぎ去った未来すら」
「真偽はともかく、この世の全てというには、辛気臭い所だ」
「此処ではあらゆる意思の干渉が御座います。この場所も私もこれが正真ではない。――貴方ですら」
 人形のように生気のない手が、私の目の前に差し出された。大小の光の玉が、それぞれの呼吸で明滅を繰り返す。
「触れてごらんなさい」
 私は恐る恐る手を伸ばす。熱くはなかった。手応えもない。
 なによ、何も起こらないじゃないの。あたしは唇を尖らせて彼の顔を見る。すると彼は微笑んで――
「そういう顔すると思った」
 騒がしい教室を背景に、学生服の少年はケタケタと笑った。語り部はどこへいった。語り部? 何それ?
「キミは面白いなあ」
「おもしろくない!」
 あたしはプイっと顔をそらす。適当でいい加減で、そんなにカッコよくもないのに。何で好きなのかなあ。私の知ったことか。
 可怪しいだろう。何だこれは。
 少年の薄い唇が、意地の悪い形に歪んだ。瞬間、艶かしい紅色に転じる。
「これはある乙女の妄想にございます」
 そこにあるのは性別不詳の端正な顔であった。安堵したような、そうでもないような。
「妄想」
 私は呆然と繰り返す。
「他方、一つの出来事とも申せましょう」
「その妄想の世界ではということか」
「然様。理解が早い」
 最早理解も何もあったものではない。そうあるのだからそうなのだ――そう納得するしかないではないか。
「あんたはそれに触れて平気なのか。語り部だから」
「それがそう呼ばれる所以では御座いますが、そもそも私は何者でもない」
 語り部が掌の光を吹き飛ばす。またもや視界は一瞬にして塗り替わり、私は楽器を手にしていた。尻に木製の椅子の硬い感触。
 どこかのテーブルで、グラスの氷がカランと鳴く。
 薄暗い照明、まばらな観客を前に、眉間に痺れのような感覚を集める。息を細く吸い、ギターの弦を爪弾く。
 僕は歌になる。
 私はこの歌を知っていた。なぜだ。自分の作った歌だ。当たり前じゃないか。いや、作ったのは私ではなく、この物語の主人公だ。主人公? 違う。そうじゃない。登場人物なんかじゃない、彼は、
 ――俺の友達だ。
 確かに聴いたんだ。いつもライブで歌ってるんだ。どうして俺があいつになってるんだ?
 不協和音が鳴り響いた。気が散ってコードを間違えた。
 ギターなんか弾けないのに。
 僕は、いや、俺は、ギターを降ろし、椅子を立ち上がる。ステージを降りてふらふらと歩きだす。会場の戸惑ったひそひそ声、音響席から駆けつけてくるスタッフ。
 足元からぐにゃりと崩れ落ち、うずくまる。
「貴方は強情に過ぎる」
 私の唇が不随意に動いた。見上げると、男装の女が立っている。茶縞の直着と紫のネクタイ。
「何処まで自我に執着するというのですか。そんな物に大した意味はない」
「意味があるかどうかは俺が決めることや」
 女の口から私の言葉が聴こえる。
「委ねてしまえば楽なのに」
 それがどちらの声だったのか、もうわからない。俺は電車の座席にいた。
 窓に荒廃した世界が映し出されている。災害か、戦火か。飢えや怪我に苦しむ人々の中、自らもボロボロになって祈る女性の姿。
「次は向日町ーー」
 俺は弾かれたように立ち上がる。降りなあかん。知らん間にぼおっとしてたらしい。
 大学とバイトと家を三角形に巡る生活が続いていた。さすがに疲れてるんかもしれん。
 初めて降りる駅だ。
 ホームからの景色は何の変哲もない住宅街で、とくに目立つものもない。階段を下り、細長い通路を抜けると、すぐに改札。
 構内のコンビニでエナジードリンクを買った。効くんかわからんけど。
 友達のライブ見に行って、途中で居眠りはまずい。しかもそれが初対面とあればさらに。
 同じスマホゲーが好きでTwitterを通じて仲良くなった。音楽をやってるのを知ったのはその後だ。同い年で男、進学で関東から京都にきたらしい。歌声は動画で聴いたけど、顔は映ってなかった。どんな奴なんだろう。
 まあええ、行けば会える。
 駅の左手、薬局や美容室のある通りを歩きだす。これを道なりに行くらしい。
近代的な住宅や駐車場の中に、ボロい判子屋やタバコ屋が立ち並んでいる。竹材店なんて初めて見た。墓石が並ぶ石材屋。かと思うと居酒屋にオシャレなパン屋。
 あった。煉瓦色の建物。
 階段を三階までのぼり、ガラス扉を押し開けた。
 明るい照明のなかに木目のテーブルが並んでいる。壁には絵が飾ってあった。清潔感があっていい。
 奥から「いらっしゃいませ」と声がする。長髪をひとつに縛った男性スタッフ。カウンターを挟んだ手前に黒いTシャツの青年がいて、俺をちらりと見た。
 ライブを見に来た、とスタッフに友達の名前を伝える。すると、青年がニッと笑った。
「ありがとう」
「お前か!」
「そうです。僕です」
 細面に少し幼さを残した目鼻立ち。とっつきやすい感じ。飄々とした物腰も、ネットでやり取りしている雰囲気そのまま。
 よかった、こいつとは仲良くやれそうや。
「滋賀から来てくれたんだっけ。電車で一時間半くらい?」
「よう知ってるやん」
 スタッフから何枚かのチラシとドリンクチケットを受け取る。
「今日の出演者にも滋賀の人がいて――」
「あっ。いた!」
 背後からの声に俺たちが振り向くと、キャップを被った眼鏡の男性がいた。
「顔合わせします!」
「ちょっと行ってくるね」
「いってら」
 彼らは奥の扉の向こうへ消えた。その向こうの部屋がライブ会場のようだ。
 俺は持っていたチラシに目を通す。手書きのコピーから、印刷所で作ったらしきツヤツヤのものまで色々ある。
ふと、洋装に黒い羽織姿の写真が目に留まる。
 なんか見覚えがあるような。
 うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと――江戸川乱歩の有名な言葉を引用したキャッチコピーのようなものが書かれてある。そういう世界観の人か。メンヘラ臭がする。
 プロフィール見たら演劇っぽい感じでやってるみたいやけど、歌手なんやったら歌だけで表現したらええんちゃうか。邪道な感じがすんなあ。
 そうこうしているうちに開場となり、俺はビールを片手に移動する。
 重い防音扉を開けると、薄暗い空間が広がっている。並んだテーブルと椅子の向こう、隅っこにステージがある。ドラムセット。木の椅子。スピーカー。譜面台。それから、アップライトピアノ。
 一番手の友達が、ギターを持って現れた。
 軽いサウンドチェックが行われたあと、会場のBGMの音量が一瞬煽られる。エイミー・マンの"Freeway"。
 そして、しん、と静まり返った空間に、一本の弦が震える。
 椅子に腰掛けた彼は半分目を伏せて、弦を爪弾く。ロックでも、ポップスでも、クラシックでもない、懐かしいような、寂しいようなメロディ。
 明るくなったり暗くなったり、速くなったり遅くなったり、広い草原になったり都会の雑踏になったり。現れるイメージは夢の中を歩くように覚束ない。
 時折のせられる沈んだ声は、歌というより、もはやどこか遠い国の呪文のようにも思える。
 彼は言葉少なに自己紹介した以外は、一心に奏で続けた。
 演奏を終えてやってきた彼は、はにかんで笑った。
「どう?」
「お前、天才やな」
「ありがとう! 知ってる!」
 彼は自分の発言にウケて吹き出した。ステージとはまるで別人やなあ。
「ここは良く出演してるん?」
「オープンマイクには出てたけど、イベントは初めて。一緒に出て欲しい人がいるって」
 俺は何となしにステージの方へ視線をやった。
 ちょうどアップライトピアノの前に立った人物を見て、俺は、あっと声をあげていた。
「どうしたの?」
 白いシャツとベストに黒い和装の羽織。まるで漫画から出てきたような格好。さっき見たチラシの人やんけ。驚くようなことでもあらへん。
「いや……」
 仄暗いステージに、ピアノがぼうっと浮かび上がる。
 女はささやくように語りだした。
「うつし世は夢、夜の夢こそまこと。しからば唄は白昼夢」
 ふいに脳裏を駆け巡る、夥しい光の粒。不敵に微笑む赤い唇。風に翻る黒い羽織。
 背中に冷たい汗が伝う。
「虚と実の間に揺らぐものに御座います」
(完)

執筆活動で生計を立てるという目標を持っております!!