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太宰治「満願」を読んで

この物語はとある小説家の目線から語られるが、その小説家が”酒に酔いながら自転車に乗る”、”キリストの愛を信じている”小説家であることから、太宰本人の回顧録ではないかと思われた。品行方正に生きたとは言い難い太宰の物語である。どんな波乱があるのかと身構えたくなる。
しかし、太宰はこちらの予想を裏切っていく。この物語は、小説家と全く対極にありそうな性質のまち医者が、不思議とふたり意気投合したところから始まるし、一番の想定外は、美しい田舎の風景を、複雑そうな人間(太宰)の目線で眺めているにもかかわらず、その世界は美しいままであり、コウモリの目で見た世界はさらに美しいと思わせるのだ。

物語中盤で、まち医者は結核を患う患者の妻に、夫と物理的な距離を取るように指示をする。多分それは夜に寝床を別けなさいというような禁欲を伴う指示なのだが、医者としてまっとうな指示ながら、まち医者は患者の妻を大声で叱咤してしまうデリカシーの少なそうな人物に描かれているし、まち医者の奥さんは事情を知ってはいるようだけれど、存在を主張してくる登場人物ではなかった。しかし物語の最後の1行ーーあれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。ーーによって、鮮やかに一変するのだ。
この物語に小説家が出てこなければ、奥さんが患者の妻に心を寄せていることなどわかりようもなく、禁欲解除の指示の裏にまち医者の奥さんがいたのではないか?という疑念も存在しなかっただろう。

小説家の目で世界を別の角度から眺めていくと、3年のあいだ禁欲状態だったワンピースを着た妻がただの田舎の女性ではなく、夫のために3年もの長き時間を敬虔に務めたいじらしい女性へと変わっていく。そのひとが喜びに回した白いパラソルは開花していく様子に似ている。
咲いた花に気づいたおっとりしたおたふく顔の妻もまた、慈愛に満ちた存在へと輝やいていくのだ。
青草原のあいだを流れる小川も、お医者の家の縁側で飲む麦茶の味も変わらないが、世界は変わった。太宰が見てとった世界がこんなに美しかったとは。私は義務教育中に太宰のいくつかの代表作を読み、繊細そうな面長の顔と、波乱万丈の人生だったという程度の知識しかなかったので、太宰が見ていたこんな景色を全く知らなかったし、想像もしていなかった。
ごめん、太宰。

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