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4年間の想い



『2020年2月3日』始まりの日


高校の卒業式すらも終えていないあの頃の俺が向かったのは進学先の九州産業大学のグラウンドだった。
「緊張するな〜。先輩怖いかな〜。同級生どんな人達かな〜。」
こんなことを思いながら駅からグラウンドへと歩いていた。

しかし、その日の俺は現実を目の当たりにした。
福岡県ベスト8の中堅高校出身の俺が強豪校やユース出身の選手と初めて一緒にプレーをして今までどのレベルでサッカーしていたのかを思い知った。


入部して1ヶ月程でTOPチームには継続して残れるようにはなっていた。
だけど毎日が挫折の繰り返しでなんでみんなは簡単にあんなプレーができるんだろうって思ってた。
キーパーの俺が困って適当にパスを出しても簡単に処理してくれるフィールド陣にいつも助けられていたような気がした。

コロナの影響で4月から6月頃まで練習ができなくて家にずっといる生活が続いていた。
今となればこの時期にもっとやれることはあったんじゃないかと思う。
でもそれはたらればでしかなくて努力出来なかった自分のせいだ。


結局のところ大学1年生の頃はTOPチームにいるだけの4番手キーパーでただただ上手い人達を上手いな、凄いなと思ってサッカーしてただけだった。

そして大好きな先輩に出会うこともできた。
俺はこの先輩がいたから練習が楽しくて仕方なかった。本当に出会えてよかった。

『2021年1月中旬』決断

4年生が引退してオフ期間を挟んで新チームになった時だった。
俺はサッカーを辞めようと思った。
サッカーを楽しいと思えなくなっていた時期だ。
思い描いていた理想と現実のギャップが開きすぎていて耐えられる気がしなかった。

でもそんな時に俺を励ましてくれた言葉は高校の同級生からお前はプロになってほしいって言われたことだった。
3年間同じ屋根の下で暮らした仲間からも応援してもらってるのに辞めるなんて俺には出来なかった。

応援してくれる人達の為にサッカーで恩返しをしたいと強く感じた。


でも現実は違って2年生になって怪我もしたし、コロナにもなった。
気づけば1年生の時にいたTOPチームからもいなくなっていた。


色々あってTOPチームには秋前には戻れたけど試合に出ることはもちろんベンチにすら入れない。
3番手キーパーだった。



『2021年11月』巡ってきたチャンス


2年生以下で行われる新人戦がスタートした。
この年に夏、冬、Iリーグで全国を逃している九産大が全国大会に出場できるラストチャンスだった。しかし全国大会への枠は九州で1チーム。九州大会で優勝するしかなかった。

そんな状況の中で俺にチャンスが巡ってきた。
九州大会3試合にフル出場して準決、決勝と無失点で抑えて優勝した。


サッカー人生で初めて自分の手で掴んだ全国への切符に俺は興奮が抑えられなかった。
この日のことは一生忘れないと思う。

全国大会でも順調に勝ちを重ねて準決勝まで駒を進めたが負けてしまって初の全国大会は幕を閉じた。全国大会でも4試合にフル出場した。
この時の俺は自信に満ち溢れていた。

俺はこのレベルでもやれるんだと思わせてくれた最高の舞台だった。

『2022年1月』信用ができない大人

キーパーを平等に評価すると言われたあの日。
俺は新人戦から自信に満ち溢れていてその言葉のおかげでさらにモチベーションが上がった。

だけど現実はそうじゃなかった。
お気に入りへの態度はあからさまだった。
俺も含めてその他のキーパー陣への対応は明らかに違うものだった。

天皇杯の福岡予選の週に俺はメンタルが保たなくなって気付けばグラウンドに行けなくなっていた。そのくらい追い込まれていたんだと思う。
心配して連絡してきてくれたコーチ2人には本当に迷惑をかけたと思う。
そのおかげで立ち直ることができてプレーで恩返しをすると決めた。

応援してくれる人がいる限りサッカーをしたかった。
全力でサッカーにまた取り組むことができた。
そして夏頃に九州リーグに出場するようになった。

3年生になったこの1年間はサッカー人生で1番辛い1年間だった。
試合に出て良いプレーをしても勝てなかった。
フォワードは10本打って1本入ればヒーロー。
キーパーは10本止めても1本決められると戦犯。
この言葉のように1失点がキーパーを苦しめる。
そしてチームは勝てない時期が続いて俺はスタメンを外された。
勝てない理由が俺であるかのように責任を押し付けられたと感じた。


正直なところ信用は完全に無くしていた。
俺がお気に入りだったらなって何度も思った。
メンタル的にもかなり追い込まれた1年だった。

『2023年2月』可能性の先に

沖縄で行われるフェスティバルに参加している時に俺は昨年の悔しさを晴らす為にこのフェスティバルでやるしかないと思っていた。
この期間に俺はもっとやれる可能性をとても感じていたし、結果としてもやることが出来た。


だけどそれ以降はTOPチームでスタメンとして試合に出ることはなかった。1年間通して。
結局この年はIリーグ3試合にしか出ていない。 


俺は4年間で一度も信用を勝ち取ることができなかった。

『2023年8月』そして遂に

チームは総理大臣杯への出場を逃した。
説明すると長くなるけど総理大臣杯へ出る為のトーナメントで負けた理由も試合に出てない俺やその他のメンバーに責任を押し付けられていた。
その時点で俺は本当に呆れていた。

そんな中でチームはもう一度新たなスタートを切ろうとしていた。
チーム編成を1から行うことになっていた。

そして俺を含めた4年生のキーパー4人はここで全員もう完璧に見限られた。

これ以降は誰1人としてTOPチームに上がることはなかった。


最後がこれなんだなって思った。
でも信用を得ることのできなかった自分のせいでもある。
誰にも言ってなかったけど悔しくて死ぬほど泣いた。
俺にはなにもできなかったって。


TOPチームから落とされても俺は諦めなかった。
ひたむきに練習した。
まだ俺はやれるって信じてたから。

そして9月14日。
この日に出場したIリーグで俺は膝を負傷した。
最初は違う怪我名を言われてたけど痛みが引かなかったから大きい病院で検査したら半月板損傷で手術は避けられなかった。
俺の大学サッカーは幕を閉じた。

『これからも』


本当に挫折しかなくて思い描いた大学サッカーではなかったけれど優しくて、面白くて、サッカーが上手な最高な仲間に囲まれて幸せだった。
こんなにも信用できないと思った人に会うのも初めてだったし良い経験にはなったと思う。


高校の同級生から言われたプロになってほしいって言葉のようにプロにはなれなかったけど俺のサッカーへの道はまだまだ走り続けます。

入院生活は辛くて大変だけどまたサッカーを続けることができるように頑張ります。

大学サッカーありがとう。
俺はみんなのこといつまでも応援してます。

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