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表現

表現って難しい。自分の感情を文字にして、外に出したり、アートにして消化したり、

結局、表現を始めてみても、途中で納得がいかなくて、下書きに残ってしまう。

特に自分の感情を、外に出そうとする試みであればあるほど、正直な感情を落とし込もうとすればするほど、今自分の目の前にあるものが、

なんか、違う。

なんか、ださい。

こう思ってしまう。
本当に難しい、考えを詰めれば詰めるほど、文字にするのが怖くなり、文字を打つ手が止まる。


もちろん表現には、正解がない。模索すること自体が、ある意味で尊いプロセスではあるんだろう。けど、探せば探すほど、数字で効率化されていく、多数者の最大幸福のための社会から、自分が乖離していく感覚がして、苦しい。

ここで、自分の模索のプロセスを1つ紹介したい。自分は、ストレスが溜まったら、パソコンを開いて、動画を撮影する。ひたすらカメラに向かって、永遠と、自分が今どう感じているのか、について、語るのだ。

語ることで、自分を客観視でき、ありたい姿・表現したい像を少しでも、見出せるんじゃないかって。


自分がモヤモヤすることに対して、そのモヤモヤと対峙し、言語化するプロセスは体力を要する。特に、ジェンダーにまつわるモヤモヤは、自身の問題意識の強さから、SNSで発信して、外世界に伝えたいという、一種の使命感も芽生えてしまうから厄介だ。だけど、伝えたいことがはっきりしていればいるほど、具体的であればあるほど、テキストに落とし込むのは簡単だ。起承転結のある文章にもなる。

だけど、今自分が感じている表現という抽象的なテーマに対する自分の感情を、テキストとして表現するのは難しい。

このまま描き続けると、堂々めぐりしそうだからここまで。だけど、ここまでの文章は、受け取り手をほぼ意識しないで、綴った文章。そこに、私はこの呟きの価値を、見出したい。(2023年5月27日)


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