見出し画像

幼少期の話

どうも。お世話になっております。
おれきです。

20代も終盤になり何を思ったか、
特に理由はないけども、
自分語りでもしてみようと思います。

気まぐれで暇な時に書くので、
更新されてたら
『コイツ暇なんだな』とか思って
読んでいってもらえたらと思います。

そんでもってこの自分語りで
知らない誰かが元気になってもらえたら
嬉しいです。

前置きはこんなところにして
早速本題へ。

幼少期前半

俺は神奈川県の海沿いの街で生まれて育った。
家族は7人だった。(祖父、祖母、父、母、3兄弟)

経済的にも不自由などなく
古い家だったが持ち家だった。

当時、労働者が4人とかで
日中の子供の面倒は誰が見てたのかとか
疑問に思うことが多々あるが
概ね平凡な家庭で
環境としては恵まれていたと思う。

当たり前に幼少期の前半のことなんて
あまり覚えていない。

覚えていることといえば
3歳になり幼稚園に入園する時、
家の前でおじいちゃんと
写真を撮ったことと

遊戯王のパックを買ってもらい、
聖なるバリア-ミラーフォース-を
当てたことぐらいだ。

ごく普通の幼稚園で3年過ごして
順調に育って小学生になった。

その途中で父親は仕事を辞めて
主夫(無職)になった。

幼少期後半

小学生で1番覚えているのは
めちゃくちゃ習い事をやってたことだ。
合計8個ぐらいはやってた。

今思えば贅沢なことだし、
いろいろなことをやらせてくれた
親には感謝しなければならないと思う。

当時は何もない日が水曜日しかなく、
周りの友達は学校が終わって
遊んでるのをとても羨ましく思っていた。

そんな中でも友達に誘われて
始めたサッカーだけは、
楽しくやれていた。

たまたま強いメンバーが揃ったこともあり、
そこそこの成績を残せたチームだった。

そんなこんなでたくさんの習い事をしつつ、
たまにサボって、サボったことがバレて
めちゃくちゃ怒られたりしながら
過ごしていた小学生だった。

たくさん習い事をしていたおかげで
めちゃくちゃ器用貧乏になった。

大概のことはできるがどれも中途半端になる。
今でもそれは継続されていて
自分で納得できる結果が残した
ことなんてほとんどない。

そんなこんなで周りより
少し多くの習い事をしてたが
普通の小学生の過ごしていた。

細かいことを思い出すと無限に出てくるが
学校で上履きを飛ばして蛍光灯を割ったり、
全裸で廊下を走り回ったり、
友達と喧嘩して学校の階段の踊り場を血まみれにしたり普通の小学生だった。

小学生の友達とは今でも飲みに行く。
一時期は月1では飲みに行くぐらいに仲が良かった。そんな友達と出会った小学校生活だった。


このままだとダラダラと小学生のときの話をしてしまうのでこんなところで終わりにする。

次回は中学生編。






またね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?