悲しくなったら、しっかり悲しんだ方がいい。
こんにちは、チューイです。
別れの季節。春が過ぎ去り、夏がやってこようとしている中でこの記事を書くのはあまりにも、季節外れな気もしなくもないですが、別れは春じゃなくてもやってくるし、僕の思考記録としても残しておきます。
いつの間にか、ヒーターを使っていた時から、「暑いな」と言って、扇風機を出して、涼んでいる。体壊さないようにしないとね。
3月は、卒業シーズンもあって、僕はそれに対して、「余裕っしょ!今回は大丈夫だ」とか言いながら、その帰り道は、下を向いて歩いた。
「明日が楽しみだな」なんて言うことはなかった。
「去年の夏に戻りたい!」とか「あの日をもう一度!お願いします!」とか言っていた。
我慢した記憶のない涙を体の中に貯めて、録音のボタンを押さずに一人で部屋で喋っていた。
「あれはこうやらないといけなかったんだよ。ねえ!おい!なに忘れてんだよ!台本書いてあっただろ!…まぁ、よかったんじゃないの」と一人で部屋で呟いていた。風呂に入っても一人で喋ってる。
僕はその時、泣けない体をなんとか普通の体に戻すために一人で記憶と会話して、笑ってから泣くか、笑い続ける。手元のノートをまた開くためにね。
最近、そうするようになったな。一人で喋る。元から一人言大好きだけど、意識的にやるのは最近。
「僕、あの時どうすればよかったのかな。難しくない?」
「いや、わかりますよそれ。難しいっすよね」
「やっぱりさ、声をかける時ってどうすればいいのかわかんなくなるね。いきなり頭真っ白になったもん」
こんなことを街中でやってるもんだから、たまに"え?この人なに喋ってんの?"みたいな目で見られる。確かにそうなんだけど、僕はただ自分を癒してるだけです。
たまに調子乗って、音量デカくなってごめんなさい。普段なら、聞こえないぐらいの音量なんだけど…
あれ、話が脱線した。
僕、一回、泣くこともなく、「終わったし!」って区切りつけて、普段やってることやりに行ったら少しして、自ら選ぶでない道を選びかけたから、その時から一人言を喋り出した(めちゃ最近の話)。
ロスって大事。思い返すの大事。浸るのって大事。それが治療法なんだもん。
紛らわすとかもやったけど、無理だったな。結局、脳がそっちを向いちゃう。
ついこの前、居なくなった人が居て、その人とどうなんかな。また連絡取れる日来たらびっくりするけど、そんな人が居た時、しっかり「あー楽しかったなぁ」って1時間ぐらいは、音楽聴きながら、外見て耽ってた。
そうこの時間が大事。
欲の発散みたいな感覚なんだろうな。眠たいなら寝る!お腹空いたから食べる!みたいな感じ。寂しいから寂しがるの!そうでもしないと狂うのこっちは!
一人言を大音量でできる場所ってほぼないから、発散するの時間だいぶかかる。普段、0.1の音量だから。
だから、みんなカラオケとか行くんだろうな。(僕は歌うの下手だし、歌える曲ない問題によりカラオケ行かない)
こういう時、泣ける人が羨ましい。
本当に一粒も出てこない。
すっげえ奥で「あ〜涙出てこようとしてるなぁ」ぐらいで止まっちゃう。
頼むから泣いてくれ。
どれだけ自分におまじないをかけていたとしても、どれだけ思考回路自体がそうなっていたとしても、基盤が変わってないから、悲しんじゃう。
僕は、友達と呼べる人がまだ居ないから"別れ"に対しては特に敏感になりがちだからね。
これからも、正直に向き合っていこうね。
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