責任と自由


自由を手にするということは,同時に責任を背負うということでもある.
また,責任を背負うということは,自由を手にすることでもある.

この4月から,製造業の技術者として働き始めて2年目に入った.同時に,サブ的なポジションから,主担当として働くようになった.2年目ながら,2年目なりに,自分で状況を判断し,上司の承認を経つつも判断を下さないといけない機会が増えている.

抽象的な話になるが,働くなかで『周りから判断を求めれ,その事象について調べ,結論を提示する』といった流れが増えてきた.時に,「その結論をメールで関係各所に共有してくれ」という依頼も受ける.これは,「責任の所在を明らかにしてくれ」というメッセージにも捉えることができる.本来ならば,結果を提示することがゴールではない.結果を共有し,関係各所で議論し,最終的な結論を出しアクションを起こすことがゴールだ.このプロセスを踏むことでリスクも,問題が起こったときの責任も分散することができると思う.これはこいつの責任だ!と押し付ける流れはナンセンスだ.

ただ一方で,責任を背負うということは,自由を手にすることでもある.「自身の導き出した結論で,周りがアクションを起こしてくれる」と捉えることもできる.誤解を恐れずに言うならば,この状況では選択権は自分にあるのだ.つまり,自由を手にしている.

責任を背負うことは気が重い,ただ,責任を背負っているということを,自由を手にしているんだというマインドに切り替えることができれば,きっともっと前向きになれると思う.そのためには,やはり地道に知識を積み重ねていかなけばならない.より正確なoutputを提示できるようにならなければならない.粘り強く.勇敢に,そして優しさも忘れてはいけないよね.

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