小論文の添削に添削者の主義信条コメントは要らない

 タイトルは私の信条であり恨み言でもある。

 一応国語の教員免許を持っているので、小論文の添削を頼まれたことがある。その際に気をつけていたことは、「技術面ではアドバイスするが、内容に関しての感想(特に否定的なこと)は書かないこと」だ。

 私が高校生の時、学校の先生が複数人でやっている小論文添削講座を受講していたのだが、国語や社会の先生たちが、内容にばっかり赤コメントを入れて来て、技術面を何も教えてくれなかったのを、未だに腹立たしく思っているのである。
 中には技術面についてもコメントしてくれる先生もいたのだがまさかの少数派で、多数派が、己の主義信条を余白に勝手にコメントしていくのである。

「あなたのこの考え方は悲しいです」←要りません
「先生はこういう風に思います」←そうですか
「こんなことを普段から考えているなんてすごいですね!」←ありがとうございます。でもこれ作文ではないので
「君のこの意見は納得できない」←それはあなたの主観です

 このようなことをたくさん書いてくる先生に指導が当たってしまったら、アテにせず塾や通信講座に切り替えた方がいいと個人的には思う。(隅っこにちょろっとくらいなら、多少は許してあげてほしい)
 というのも、私個人が浪人中に塾の小論文専門講座を受講したら、嘘みたいに模試の点数が伸びた経験があるからだ。現役のときに受けた学校の講座は約1年間で、塾の講座は1ヶ月なのに!

 金銭的に難しいということもあるかもしれないが、そのときは図書館に行って、小論文や論文・レポートの書き方系の本を読んだ方がよほどためになると思う。

 テーマに関する添削者の個人的な感想は要らないのだ。小論文の点数を取るための添削に必要なのは、「解答者が言いたいことが読み手に伝わる論文であるか」「論理的に納得できるように書かれているか」であり、伝えるための技術が大切になる。
 添削者の個人的な主義信条はほぼ不要だと思っている。もちろん、添削者が問題を理解していないと添削も万全では無いので、心の中では「自分だったら……」と思っておく必要はある。が、小論文を書いている生徒の意見を否定してもしようがないのである。
 小論文の指導は国語の授業と一緒にしてはいけないと思っている。国語の授業では、生徒の作文に感想コメントを入れたり、時には「先生はこう思います」と主張することも、読み方を深め、視野を広くするために必要である。
 一方の小論文は、大学受験のみならず、大学でのレポートや就職・資格試験などでも必要になることで、早いうちに型を身につけておくに越したことはない。

 読み手を納得させられるか。論に無理はないか。ひとりよがりになっていないか。そういうことを整えなくてはならず、文学系・社会科学系・自然科学系で傾向も異なる。

 学校の先生は、心を育てることも仕事や信念であり、何かに関連づけて生徒の内面を見ていきたいと思う気持ちは分かる。
 しかし、それもやはり時と場合というものがあって、特に受験指導をするのであれば、生徒の考え方に疑問を覚えたとしても、それはそれ、これはこれ、で切り離して考えるべきなのだ。
 そういうことをしたかったら、自分の社会なり国語なりの授業のおまけコーナーにアンケートをつけてやるべきだと思っている。

 まあ、それもそれで、独りよがりにならないようにしないと、生徒目線では結構白けてしまうこともあるのだけれど。
 理想の授業と現実とのバランスが難しいことも、一応少しは分かっている、と思う。ちょっと生徒のときの印象を強めに覚えているので、辛口にはなるのだけれど。

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