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先見の明がないと弁えて

生まれる前にどこの親元に生まれるか決めて母親のお腹に宿る、という話を聞いたことがある。自分でその親がいいと決めただなんて、なんて自分は先見の明がなかったのだろうと思う。

父も母もいいところはある。母は、子供に好き嫌いはしないようにと言った手前、嫌いな食べ物はないかのようにふるまって、嫌いな野菜がたくさんあるのにしれっと食べてきた人だし、父は子供と遊ぶのが天才的に上手。ただ、金がねぇと度々聞かされるのは子供ながらにきつかった。高3で進路について話す際、勉強がそこまで得意でない私にオール国公立で、というオーダーはなかなかハードだった。そんなに金がねぇのなら、就職させてもよかっただろうに、なぜか進学で、というよくわからない家庭だった

もし、生まれる前の自分にアドバイスをするなら、世の平均年収くらいあって、住宅地に住んでいる大人のもとに行け、と言いたい。現世の私は、ど田舎に住む人のところを選んでしまったから、友達のうちに遊びに行くのも一苦労だった。友達のうちが遠くて気軽に遊びに行けないし、友達も遠いからって、めったに遊びに来てくれないぞ。

今まで度々、自分には先見の明がないなと思うことがあった。ぱっと思いつくところでは、どうにかこうにか入った大学で入学式のあとに「君たちは就職できない」と学科の説明会かなんかで言われて早々に絶望した思い出がある。新設の学科の二期生には就職先のコネがまだないのだろうと、誰かが言っていた。26歳の時に入った会社は3か月で辞めたのだけど、セクハラ・暴言・車を営業マンに当て逃げされる・営業マンが集金を使い込み・支店長の横領・配送のお兄さんが暴力沙汰でクビ、と短い期間に盛りだくさんのトラブルを見、経験して逃げるように辞めた。なんでそんな闇しかない会社の求人に釣られてしまったのだろう。面接の際にまったく見抜けなかった自分が情けない。

今もなお先見の明がないのかと言えば、さすがに年の功でそこまでひどくはない。色々経験して
自分で選ばない方がいい場合があるのを知ったし。自分は先見の明がない方だと弁えて、頼れる誰かの力を借りる。最後の最後に選んでもらったものにするかどうかは私だけど、頼れる誰かと選んで、その選択が違ったとしても「あの人の選択で違ったならもうしょうがない」と気持ちよく諦められる。

誰を頼りにするかってところが肝で、いまだに失敗した(汗)ってことがたまにある。その辺、相変わらずまだまだですな。

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