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ゆうきさんと話して(3/25)

ありがたいことに毎日いろんな大人に会って、いろんな話を聞いて、いろんな話をして、いろんなことを感じる。

昨日は勇木さんに会いに行った。2回目。静かなんだけど、他の人と話しても話さない内容になる感じが好き。そういう雰囲気を作ってくださることがありがたいし、独特な着眼点を持ってることにあこがれる。

金光寺に行って、お茶をたててもらった。泡に自分の心が現れるみたい。

いろんな話したんだけど、印象深かった話を2つ書いておこうかな、と。

一つは夏に作ったひまわりの作品を見せて。

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この作品を見せると、多くの人は「おぉぉぉ、すごい」とか「どんだけ暇なんだよ(笑)」にみたいな反応をするのだけど

ゆうきさんは、構図とかひまわりが上向いてることとかに関して言及してくださった。それがいいとか悪いとかではなくて、他の人に言われたことなかったからびっくりした。芸術家であることを再認識した。このコメントが芸術家だからなのか、ゆうきさんだからなのかはわかんないけど。

ひまわりが上を向いている。
ひまわりの葉っぱがクリン、となったいつ、
雲がこのポジションにある、ということは上を見上げている構図。
外枠を書いてから、卵の殻を割って、色を塗って貼っていった、その工程。

自分でも意識してなかったけど、確かにひまわりは上を向いているし、葉っぱだって、くりんとしてる

確かにそこには希望みたいなものを感じるけれど、別に私は希望を表現するためにこの作品を作ったわけじゃないし、ましてやこの作品から希望をもらうこともない。

コメントされて、人生全部後付けだよな、と。何を悩んで、その時何をしたかなんてその時はたいして意味なくて、後々、あーあの時あのことに関して悩んであれをしたことはこのためだったのか、となるのかな、なんて。わかんないけど。

この作品は外枠を書いてから作ったけど、外枠を作らずにおもむくままに貼っていくのもいいかもよ、と。楽しそうだけど、どんなものができるのか不安。それもまた人生に置き換えて少し話して。

生きるのなんて死ぬまでの暇つぶしなはずなのに、私一人の人生があろうがなかろうが、誰の人生も変えないのに、こんないろんなこと考えて悩んで何やってるんだろう、と思うこともある。むしろそんなことばかり考える。

正解なんてなくて、自分がどうありたいか、という問いに対する自分の想いとか行動がすべてなんだと思う。

もう一つは10月から島に来ることに関して。

10月から島留学で海士に帰ってこようと思っているのだけど、海士で何をしたいのかはまだ決まってない。

決まっているのは10月に海士に帰ってくること。別に誰が決めたわけではなく、東北大学、という立派なレールから1年くらい外れてみたい、という気持ちから。海士なのは、今回さとのばでせっかくいろんな方と繋がって、自分の殻も少し壊すことができたから、というだけ。

もういろんな人に言って、外堀から埋めている感じ。別にそれに関しては自分で決めてやっていることだしいいのだけど。勇木さんはそれ来る必要もう1回考えてみたら、と。刺された。自分でも明確ななにかがあって海士に帰ってくるわけではないので、あやふやなところがあって。そこから目をそらしていた。

なんか日本語下手なのと、自分の感情を言葉にするのが難しい。

ちょっと記憶に残ってることだけ書いておく

海士の四季をもう一回感じたい
何もしたいことがないけど、自分がどんな人で居たいのかしりたい
自分について深堀したい
土壌が大事。どんな花を咲かしたいかはあと。(こんなだったけかな)

うん、頑張んなきゃな。こんな経験できてるの幸せだよ、ほんと。

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今年の桜との写真もとりあえずゲット(生まれたときから桜と写真を撮ることが定例になってる)。お母さんに送らねば。




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