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色んなことに意味を見出すのは野暮だと思った

一昨日、仙台のパルコでやっていた、詩人・作家「最果タヒ」さんの特設展示を見に行った。彼女のことは全く知らなかったけど、たまたま広告として見た文章(われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです)の意味が分からな過ぎて、逆に惹かれたので、そのためだけに仙台まで行ってきた。

本当に、大半の文章の意味がわからんかった。自分の頭が足りてないんか、と一瞬思うんだけど、何度読み直してもよくわからなくて、これは私の頭の問題じゃなくて、彼女が見えている世界がぶっ飛んでいるんだと解釈することにした。

それでね、意味が分からないのに、自分なりに解釈してこういうことかな?とか考えるわけです。詩って、読み手によって解釈が変わるそういう側面が文章よりも強くあると思ってて。

私なりに一所懸命解釈するわけです。でも、よくわからんの。

で、思ったの。これはこのまま詩として心に刺して、何で刺されたか(その詩のどの部分がどういう意味なのか)よりも、刺されてどんな痛みがあるか(その詩をそのまま読んだときに自分が何を思う)を考える方がいいな、って。

私の彼氏は、上に書いた広告を読んで、適当に言葉を並べてるんだよ、それが解釈好きの人たちによって、素敵だと解釈されて、こんな風に有名になってるんだ、って言ってた。

それはそれで一理あるな、って思った。意味の分からない文(詩)を読んだときに、自分なりの解釈をするんじゃなくて、もうその詩を受けて自分がどう感じたかを考えるのもありだな、って。

うまく説明できないけど、解釈を放棄してるとは違くて、詩というものが心に刺さってジンジンきている感覚に集中する感じ。

じぶんでもなに言ってるかわからないわ。笑


それでね、話は変わるんだけど、私が所属してる剣道部には毎年出版されている部の冊子があるの。師範をはじめとした先生方の寄稿やその年に在籍してる部員の自己紹介とか卒業する4年生の所感とかだいぶボリュームある本なんだけど。

そこに載せるために、この前出場した全国大会に関して寄稿をお願いします、って依頼が来たんです。

んで、私めっちゃ文章考えたの。でも全然納得する文章が書けなくて。

結果的にこんな文章を書きました。

「相手うんぬんじゃない。まずは自分の弱い心に勝たないと。」

初めての全国大会は一回戦二本敗けで終わりました。

試合直後は「相手は剣道に全てを捧げている選手だから仕方ない」と開き直っている部分もあり、あまり悔しくありませんでした。
しかし、加賀谷先輩と薬袋の、全国大会の空気感に飲まれず勝ちにいく試合を間近で見て、「全国レベルの選手にどれくらい戦えるかな」という気持ちで試合に臨み、2人に比べ勝ちたい気持ちの薄かった自分が情けなく、また自分に出場権をくれた剣道部女子に申し訳なく感じました。

全国大会を通じ、剣道のことになるといつも自分に負けていることに気が付きました。全国大会でまず戦うべきは、勝てる可能性は低いだろう、そんな弱気な自分でした。
自分の弱い心に身体を支配されずに試合できるか、相手に左右されず稽古の成果を出せるか。

2本敗けの結果で言えたことではないですが、自分にとって大切なのは、試合の結果以上に、負けても仕方がない、という自分の弱い心に打ち勝って試合をすることでした。全国大会ではそれができなかった。

思えば、○○大学(在学している大学名)剣道部に入部してから、男子に対して常に申し訳ない気持ちを抱いてきました。中学で剣道を始めてから中高6年間女子校にいた自分にとって、体力面でも実力面でも差がある男子の相手をすることは、強くなれると分かっていても、怖いものです。
男子に練習相手として不十分だと思われているのではないか、迷惑をかけているのではないか、と感じ稽古は体力的にも精神的にも苦しい時間でした。

しかし、それも自分に負けていることによる感情でした。
男子に迷惑をかけていないか心配してしまうのは性なのでどうしようもないですが、それより「自分の限界まで取り組むこと」「男子に恐れることなく剣を交えること」を考えるべき、全国大会後、そう思うようになりました。

剣道は、人間形成の道であって、スポーツではない。こうやって、日々自分の弱さに気づき、もがき、改善するために努力することこそが剣道なのかな、と感じています。
大会では、試合の勝ち負けにシビアになる必要があることも重々承知です。それでも、まず戦うべきは自分。弱い心に負けず、これからも研鑽に励んでいきます。よろしくお願いいたします。

これ。自分なりにはそれなりに納得した文章がかけたんだけど(読み直すとまだimproveできたな!!泣)、これを書きながら思うわけです。全国大会に出て気が付いた(学んだ)ことなんてないよ、と。でもなにか書かないといけないから強引に学びを見つけました。

感覚的には、砂からほんの少し出ていた芽の全部が見たくて、砂を掘っていく感じ。

芽のまま、砂場にはやしておきたいなぁ、って思った。砂を掘り返すなんて野暮だよなぁ、って。違うかな。

でも振り返ると、小学生のころから読書感想文で、読んだ本になにかしらの感想とか学びを引っ張り出して書かなきゃいけなかったでしょ、それが今も自分の中に走ってるのかなぁ、って思った。

そんな感じ!

最果さんの展示見に行って、詩の創作欲が湧いたんだけど、恥ずかしくてどこに残していこうか迷ってる。世の中一般的にイタい、っていわれるポエマーと詩人の境目ってどこにあるんだろうね。私が詩を書いたらただのイタいポエマーや。笑

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