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東日本大震災から10年とさとのば最終日(3/11)

書きながら、床で寝てしまった。3月11日の分。

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さて。今日は、東日本大震災から10年。あの時は9歳、小学校3年生かな。東京にいて、被災はほぼなかった私が東日本大震災についての気持ちを書くことは、東北の方からしたら、は?と思われることなのかもしれないけど、10年と言う節目で、自分がなにを感じているのか、記録のために書こうと思う。

朝から、さとのばのチェックインでさいとうさんとわたるさんの様子がいつもと違った。さいとうさんは画面オフ、ミュートで、わたるさんも頭がさとのばにない、みたいな。

その様子を見て、あの地震は私が知らないだけで、こうやってたくさんの人の心に刺さってるし、それが傷になっている人もいるんだな、と感じた。

自分は、昨日書いたように、生活に関しては地震の影響はほぼなかったし、当時は幼くてどこか遠い世界のことだと思っていたけど、今になって本当に大きなことだったんだな、と思う。

14:46、海士町にサイレンがなり、黙とうした。1分経ってサイレンは止んだけれど、10年前は14:46に揺れ始めてから、津波が来る、とわかり始めて、みんなパニックになって、津波がきて、多くの命とものが流されて…みたいなことを想像すると、1分間では頭が切り替えられなかった。揺れ始めた瞬間に黙とうをするけれど、あの地震で失われた命は津波が大多数で、そんな1分黙とうすればいいだけじゃない、なんてことを感じていた。

これは14:50くらいまでの話。もう1度切り替えたら、そんなことなんてきれいさっぱり忘れて、マイプロジェクトを進めていた。

いま思うと、なんて薄情な人間なんだろう、とおもうけれど、それが今の私だ、とも思う。結局自分ごとではないんだろうな。

東日本大震災から10年、その間にも日本ではたくさんの災害が起きて、多くの命がなくなった。すべてに黙とうとかしてたらキリがないけど、東日本大震災だけ全国でやるのはなんか違う気がする、とも思っている自分がいる。それだけ多くの命がなくなって、多くの人の人生を変えたものなんだろうけど。

いまいる海士町は、地震はもちろん台風的な災害も少なくて、みんなの意識は正直低い、と海士にいるある人が言っていた。船が止まったら終わり。ジエンド。東京は、30年以内に高確率で首都直下地震が起きると言われているのに、私の家族はのんきなものだ。災害が起きたとき、どんなことが起きて、どう備えが必要なのか、はっきりわかっているひとはほとんどいないと思う。どれだけ平和ボケしてるんだろう。

かく言う私も地震の備えは全くできていなくて、地震が起きたら真っ先にパニックになって、死ぬんだろうな、と思う。そんなんなら、先に死なせてほしい。

地震に関してはそんな感じ。今の気持ち。正直、幸せなことに生まれてからまだ大震災を体験したことがないので、当時の東北に思いをはせても、YouTubeで見た動画の風景しかわからない。でも、毎年、どこかでこうやって思いをはせることが、東日本大震災を風化させない1つの方法だと思う。

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というこんな日に、さとのばの卒業式(最終授業)があった。

朝一にはありさとランニング。朝からいい天気でいい気持ちになった。

かえってきたら授業。

すぎちゃんの発表を聞いて、OSTの時間があって、自分で卒業証書を作って、さよなら、

オンラインでやっているからか、最後はあっけかった。ばいばーい、とか言って。感傷的な気持ちにもならなかった。もちろん泣きもしなかった。

OSTの時間は2タームあって、最初は「さとのばについて」。私は、学びを共有する時間がもっと欲しかった、と答えた。生徒9人しかいないけれど、発表する場がないと、学びをまとめるきっかけがなくて、ばらばらの学びのまま終わってしまうから、もっとそういう機会が欲しかった。

なんとなく、放り出される感覚。さとのばの授業が1か月半なのに対して、海士にいる期間が2か月だからかもしれないけれど。

あっきーがさとのばに来れて本当によかった、と言っていたのが印象的だった。早く会いたい。

後半は「さとのば同窓会について」。夏の郡上キャンプをやりたくて(郡上なんてきっかけがないと行かないもん!!)、そのためにはオンラインで会う機会が欲しいな、と。思って日程を立てた。でもありさとけいさんしか来なかった。みんな会いたいと思ってないのかもしれない。そうならすごいさみしい。考えても仕方ないけど。

そして、ホストなるものになってしまった。本当はホストもみんなでやった方がいいのだけど、なぜか。でもせっかくなったから、しっかりやろうと思う。

そのあとは、YOSHさんがうくれれを弾いて、みんなでサクラを歌って、YOSHさんの娘さんが登場して、なんかむーでぃになって、卒業証書を作った。

さくらこ

これでさとのばはいったん終わり。仙台に戻ったら遊んでもらえる知り合いがたくさんいるから、楽しみ。

午後は、アイデアを自分が面白いと思うように変えていく作業。

浅井さんに自分が面白いと思うようにアイデア膨らませてみな、と。想像力皆無の私にそれを振ってくる浅井さん、強い。

とりあえずやってみる。自分がやりたいな、と思うアイデアを出す。未利用魚を生かす事業とかね。

夕方 まきちゃんと夕日をみにいく

夕日めっちゃきれいだった。

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わかめをとった。

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チェキを撮ってもらった。いい時間だった。野菜をもらった。

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自給自足の生活うらやましい。

夜は浅井さんが作った牛すじカレー。ダイエットで炭水化物を抜いている私のために、サラダも作ってくださった。浅井さん本当に優しい。ビビる。

料理も分担してるし、こういうパートナーと一緒になりたいな、と思った。まだ彼氏すらいないのだけど。

3/11も濃い1日だった。
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(追加)

そうだ、西ノ島の方に降りていく夕日を見て思ったことがあったんだ。

津波、っていう多くの人の命を奪った海が、目の前で、見ている私を魅了している。ただ夕日が沈んでいくだけではなくて、海に反射する光と、いろんな形の雲と、遠くを飛ぶカモメとどこかで鳴いている鳥とすべてが合わさって、あの感慨深い風景ができていて、それらは人の手が入っていない、自然で。

人間は自然に抗うことはできないからこそ、あれもこれも機械化して大規模化してコストを抑えようとするのではなくて、自然と共に生きる、必要があるのだと思う。自然を切り離してはいけないし、テクノロジーの力でねじ伏せてもいけない(そもそもねじ伏せれないけど)。

まあ、そんなこと言ったって、今の私にできることはないのだけど。

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ただ生きるだけ。

今日は熱い男と面談だ。薪をくべてもらおう。

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