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三島由紀夫を読む

久しぶりに図書館に行った。

何年ぶりだろう。生活圏内にあるというのに。

10年くらい前までは足繁く通っていた。

室井滋、岸本葉子、さくらももこ・・・・。
目に付いたエッセイストの本を読み漁り、新刊コーナーで気になる物を借り漁り、その時の興味も悩みも、解決に導くきっかけは図書館にあった。

当時の新刊「冷静と情熱のあいだ」も、図書館で借りて読み、20年近く経ったちょうど2年前の6月末、念願だったイタリアのフィレンツェに行って、ジョットの鐘楼にも上り(小説ではドォーモの方に上るのだが)、フィレンツェの街並みを自分の目で見られて満足したものだった。

さて、三島由紀夫である。

先日、SLCでEテレの”戦後史証言 三島由紀夫”を観た。

これまで三島由紀夫に全く興味がなかった。
彼の人生に興味もなかったし、もちろん本を読んだこともなかった。
ただただ、軍服のような制服を着て、短髪に鉢巻をしてバルコニーで雄叫びを上げていた人。というイメージのみ。あと、美輪明宏が浮かんでくるくらい。
私が生まれる前に死んでいる人だったので、歴史上の人物の1人。
結局のところ、名前しか知らない人だった。

そんな前知識ゼロのままのSLC。

観ても結局、三島由紀夫のことを何一つわからなかった私だったのだが、谷村先生が「この番組は、今、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』という映画が公開されていて、その関係で」・・・・云々。
という話をしていた。

SLC終了後、その映画の公式サイトを見た。
なるほど。東出昌大がナビゲーターのあの映画か。
今年のはじめ東出昌大が”あんなこと”を起こして、初めて公式の場に出てきてワイドショーを賑わせた、あの映画だったか。
この映画も観に行ってみようかな。
少しづつ、三島由紀夫に心が傾いていく。(動機が不純)

そしてもう1つ。
タイのワット・アルン(暁の寺)。
この寺の紹介にはよく「三島由紀夫の著書 "暁の寺"の舞台として日本人には有名」と説明がある。

ワット・アルンの美しさに足を運んでみたいと思いつつも、三島由紀夫の著書に興味がなかったが、あらすじを読んでみた。

タイ・バンコクが舞台「豊饒の海」四部作の三巻「暁の寺」

本多は別荘のプールにジン・ジャンを招き、脇腹にほくろがないことを確認し、さらにその夜、彼女が泊まっている部屋を覗き見する。彼女は客の慶子婦人と裸で抱き合い、レズ行為をしている最中で、その脇腹には、3つのほくろが浮かび上がっていた。その光景を見た本多が驚いている間に別荘が火事になり、別の部屋に泊まっていた学者と鬼頭の弟子が死亡する。そして帰国したジン・ジャンも消息を絶つ。


なかなかセンセーショナルではないか。

そこで前置きがかなり長くなったが、冒頭の図書館であった。



「三島由紀夫の”暁の寺”はないですか?」

本の場所を問う、いっぱしの読書家気取りの私に、「今、ここにあるのは三島由紀夫全集しかなくて、この14の中に”暁の寺”が・・・・。」と、タイトルを言っただけで、全集のどこにあるか知る、三島由紀夫上級者の図書館職員さんが出してくれたのが、タイトルの画像の三島由紀夫全集である。

分厚い。文字が小さい。

二重苦であるが、これを読んでワット・アルンを目の前にしたら、感慨深いに違いない。

読了できるか不安だが。

そしてもう1度、”戦後史証言 三島由紀夫”を観返してみようと思う。きっと最初に観た時より興味が湧くはずだ。

こうして私の人生には、この年にして三島由紀夫が入り込んできた。


この記事を書いて数日後、実家に立ち寄った。
実家には、いろんな作家の全集があり、その中には三島由紀夫があった。
昭和41年発行のもの。
三島由紀夫の書評に作家の出口裕弘(2015年死去)が寄稿していた。
「この三島由紀夫の人物論は、後世の人が書くと良いだろう。なぜなら今もなお彼はめざましく活躍中なのだから」と。
この4年後。三島由紀夫は日本史に残る命の絶ち方をした。

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◎2020.6.29
廃校でゲットした椅子をオリーブオイルで手入れした。
12才の愛犬に舐められまくった。

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