ホーチミン・2020年3月30日時点のデリバリー状況について思うこと
デリバリーの是非
厳しい各国の情報、危機が募る日本、そして隔離案件が増えるホーチミン。なかなか明るい気持ちになれない報道が続きます。
そんな中で、まだ国が(積極的にではないにしても)営業を許している飲食店のデリバリー。できる限り家に籠る、を前提として過ごしている方達の中には活用されている方もいらっしゃると思いますし、私も活用しています。
ここにまず、是非があります。
私もお叱りを受けております。
感染を拡大させないためには誰も外に出ないのが一番です。
そこは認めます。
ただ期間も決まらず先が見えない状態で、一切の外出・外界との(物理的な)接触を断つというのは、かなりの閉塞感を伴うと予想されます。
加えて人によってはお仕事に出かけざるを得ず、食事を外に頼るしかなかった方達もおられ、デリバリーは彼らの食を繋ぐという役割も担われている。
買い物に気軽に出られない方もおられましょう。小さなお子様がいたら家に置いて行けないし、一緒に外出は避けたい。となると、料理だけに限らず物資をデリバリーしてもらうしかない。
外に出ることが叶わないというのは、思う以上のストレスにもなります。デリバリーのご飯でほんの少しの楽しみを、という側面もあるでしょう。
物事が持つ役割はひとつではないという事。デリバリーが存在する意味は、ただ人の胃袋を満たすだけではない、と私は思います。
繰り返しますが、感染拡大を防ぐためには、誰も外に出ないことが最善策。
しかし長期戦になることを考えた場合、物資の入手経路は確保してくのが得策。そこを閉ざすのはパニックの元。外出禁止令を出している他の国でも、そのようにしているところが多いと認識しています。
国も全体のバランスをみて判断した結果、そこを閉ざすまではしないが良いとしていることからも、デリバリーを活用する人までもが強く非難されるのは微妙なところかなと。
最善策ではないとわかっているだけに、私も強く反論できませんし、一切の外出をするべきでないという方たちには何を言っても言い訳にしかならないかもしれません。
しかしちょっと最近目に余る状況を聞くことが増えたので、少しばかり。
デリバリーは簡単じゃない
今現在デリバリーを主として動かれているお店に対し、
「こんな時まで金儲けか」
というような事が言われるケースがあると聞きました。
そもそも、ご商売をされてる方が利益を上げることに注力するのは当然だと思うのですが、事態が事態ですので、上記のように、「一切の外出をすべきでない」という方の論なのかもしれません。
しかし、デリバリーというのはそんなに簡単ではないと私は思います。むしろ、お金にはならない。(以下、現場にいない私の見る範囲での推測なので、大きく誤っているところがあれば飲食業界の皆さん、ご指摘ください)
▶︎ポータルサイト利用時の手数料
デリバリーのポータルサイトを使えば手数料がかかります。聞いた話ではびっくりするようなレートです。それでもお金だけでは無い利があるから皆さんご利用されるのだと思いますが、利用する側の気が引けるほどのレート。
そもそも飲食店さんの利益率、見渡す限りは理不尽なところはそうはなくて、それぞれの価格帯に合わせて精一杯の努力をされているところがほとんどかと。
むしろ素人には「どうやって成立させてるの???」と疑問になる程、原価をかけておられるところが多いように思われます。
なのに、そこから削られるんです。いや、そう言う言い方をするとポータルサイトがひどいご商売をしているかのような言い草になるので違いますが…(広告になったり集客力は、やはりある)
お店が同じものを提供した際の利益を考えると、格段に違いが出る。Grab Foodなんかを使うときにはドライバーさんにだけじゃなく、お店にもチップをあげれたらいいのに、と常々思っています。
▶︎容器代などのコスト
デリバリーには容器が必要。普段は不要なアイテムを買わなければなりません。プロの方はこれ、お安く仕入れるルートをお持ちかもですが…
素人の私が探した時の印象からすると、決して安いものではありませんでした。下手したら日本のパッケージ専門店の方が安いかな?というものもあったくらい。(日本どないなってんねん)
▶︎新たな手順
慣れない受注から配送までの手順を、急場で注文に急かされる中、スムーズに流さねばならないご苦労たるや。
スタッフさんはローカルの方のケースも多いはず。日本人同士なら感覚でやり取りできるところも、きっちりと伝えないと伝わらない事もきっと多い。
平時、時間を取れる時にゆっくりそれをやれるならいい。でもこんな時です。出向けるお店があった時に比べる選択肢少なく、オーダーは集中します。慣れてるお店ならともかくとして、今からデリバリーを始めるところに関しては、想像を絶する大変さ。
そこに注ぎ込まなければならないコストたるや、大変なものだと思います。そもそも規制が「数時間後に施行な?」という感じで次々に変わるのです。そこについていくだけでも大変とかいうレベルじゃない。
▶︎不本意な印象を与えてしまうリスク
デリバリーを始めた事で不本意な印象を与えてしまうケースもあるかもしれません。
デリバリーに慣れていない場合、到着時に商品がとても残念なことになっているケースがあるんです。バイクで揺られる上に、料理の構造を知らない人が宅配するとどうなるか、お店の人は配達先に立って待ってるわけじゃないからわかりにくいんですよね。
そもそも店頭でできたてを食べる時よりは確実に味が劣るという料理もある。突き詰めてレシピを考えた大事な自分の商品の質が、多少とはいえ落ちることが目に見えていても送り出すことを、誰が簡単だと言えるでしょう。
聞いたところでは、一旦デリバリーを始めたものの、負荷がかかりすぎるのでお辞めになったところも多いと聞きます。
そのくらい大変なんです。デリバリー用で無いものをデリバリーするってことは。儲かっていいじゃないかって?どうでしょう。トータルで見たら、むしろ善意をご提供くださっていると考えてもいいくらいじゃないかと私は思います。
儲けがそんなにないのなら、なんで頑張るの?
ちょっと驚きますが、こういうことを、現在頑張っていらっしゃるお店の方に問われる方も人もいるようです。
これはお店によって色々でしょうし、私が「こうです」と代弁することではないと思います。ただいくつかの飲食店さんとお話をしたところ…
▶︎もちろん店を存続させるため
人のいない家が荒れていくように、お店を閉め続けると様々なマイナス面が生じます。
異国でお店・事業を立ち上げるだけでも大変なことなのに、それが危うくなるかもしれないという場面でできることがドンドン制限されて行くご心痛はいかばかりかと。
そもそも事態収束後、好きだったお店が無くなってたら寂しいのは私たち。ここも意見が分かれる所とは思いますが、国が営業を禁止しない限り、私は頑張って残って欲しいです。
▶︎自分たちが動いた方が外出の数が少なくて済む
ご家族分・職場人数分のの食事を確保する場合、当たり前ですが、お店に複数食をデリバリーしてもらった方が、外を歩く人の人数は減ります。
デリバリーをする人に負担がかかるのは良いのか?という話もありますが、全体で見ると、外を出歩く人が少なくなり、接触が少なくなることで感染率は格段に下がると認識しています(間違っていたらご指摘ください)。
食べ物の場面ばかりでなく、私も人にものを渡す際に、Grabデリバリーというバイク便的サービスを使いますが、彼らがいてくれなければ滞ることが多々あり、繋げるコミュニケーションも無くなります。本当にありがたい。
▶︎ほんの少しでも明るい気持ちになって欲しいから
ここに重点を置いているお店は本当に多い。それだけではやっていけないけれども、利益のためだけでそこまではできませんって。
何事でもそうですが、誰かのためになれるかもしれない、と思えるから頑張れる、ということはあると思います。なので、この気持ちもまた心の底からのものかと。
美味しいものを食べると、私はとても幸せになります。特にこんな状況の中、家の味とは違う、好きなお店の味、評判を聞いて楽しみにしていた味、そういうものがあってくれたら、同じように、気持ちを明るくする人もいらっしゃるのではないでしょうか。
例えば、私のブログの話になりますが、この時期にデリバリーを始めてくれた、YAZAWAさんのご紹介をした時、目の前にいない読者さん方からの「どよめき」が聞こえた気がしました。
その後も普段にない勢いでご感想を送っていただけたり、最近にはなかった楽しげな様子のメッセージを多数いただきました。
お店のデリバリーには、こういうこともできるんですよ、と知らせてもらえた気がします。
私は、デリバリーに携わる方達に感謝しています
これまた信じがたいことですが、日本での一部の話によると、
こんなことがあったようです。これだけじゃなく、似たような話を結構あちこちで見かけました。
閉塞感で神経が立っているのでしょうが、その矛先を向けるなら、彼らではなく、ちゃんとした施策を取っていない、それをすべき人たちでしょう。
今回のウイルスがまだ欧州であまり酷くなかった頃、アジア人がとても酷い差別を受けていたという話がありましたが、これ、日本人同士のお話です。悲しいことだ。
しかし一方で、こういう方もいらっしゃいます。
実はこのツイートの前に、配達の方にはお礼ごとを差し上げたいというようなことをおっしゃっていたら、日本では郵便局員さんにお志をお渡しするのはいけないことのようで。
ご指摘を受けてそのツイートは消されたようですが、全く同じ気持ちだった私は深く頷いたものでした。実際、チップが受け入れてもらえるホーチミンに住んでいるので、最近、自分が送る側でも受け取る側でも配達の方にはいつもより気持ちだけですが多目にお礼の気持ちを渡しています。
だって自分が動かないということを守りつつ、諸々の所用をこなしたり、人様とのコミュニケーションを取れているのは彼らのおかげ。彼らこそ、いろんな場所に出向かねばならず御心労もあるだろうに。ありがたいことです。
もしこういうサービスを利用することすら、感染拡大に即繋がり、許すべきではないと判断されたのであればもちろん従うつもりで、家にも最低限の食料の備蓄もしています。
が、彼らは者や食事だけでなく、「日常へ戻る道」を繋いでくれている存在だと私は認識しています。
想像してみてください。彼らの存在が一切なくなくなったと仮定しましょう。食料も仕事上必要な物資も、現在手元にあるだけで先が見えないままやっていかないといけないとしたら、暗澹たる気持ちになりませんか?追い詰められれば、平静ではいられなくなるし、今の街のおだやかな様子が守られるかは甚だ怪しい、と、私は踏んでいます。
状況が許す限り、彼らが「戻るべき日常」への架け橋になってくれている限り、それは同時に私たちの気持ちの安定を確保してくれるものにもなっているんじゃないかなと考えるのです。
私は飲食業界に対して日頃から敬意を感じる事が多く、少し偏った内容になっているかもしれませんが、そう言う一面もあるのだな、と読んでもらえたら幸いです。
2020年3月30日
ちぇり
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